嵐のまえの夕焼け

休配。
送品表を見ずにすぐさま本を手に取る好機、
を、みすみす手放し、TLを追いかける。


乗換え駅でトーストとコーヒー。
シフトの都合で今日は急いで席を立つ。


車中のとも。
宇田智子『市場のことば、本の声』(晶文社


最後の数分で、なんとか本にたどり着いた。
「○と×」を読む。短い文章なのにいろいろ示唆に富んでいて、
本を閉じたあともしばらく頭がぼんやりしてしまう。

 若い独身女性を案じて、自分の存在や言葉によって少しでも楽になって欲しいと願う人たちがいる。その苦しさを、身をもって知っているからだろう。でも、キラキラした年上の独身女性を見て、すてき、自分もああなろうとみんなが励まされるとは限らない。だって百合さんはきれいで仕事ができるし、一緒に旅行する女友達もいるし、慕ってくれる姪っ子もいて、幸せでしょう。私にはなにもない、とますます落ちこんでしまう人もいるのではないか。
 私はそうだ。かつて百合ちゃんと同じようなことを考えていたけれど、それは私を見て「あんなにさびしい人もいるのだから自分のほうがましだ」と安心して欲しい、というまったく逆のベクトルだった。(p.128)


若い書店員を案じて、自分の存在や言葉によって少しでも楽になって欲しい、と、
願わないではない。この場合、「あんなに苦しい人もいるのだから書店員はやめとこう」となるので、
不幸自慢はたいがいにしなければならない。いや、自慢している場合ではなく、
コツコツとその不条理へと立ち向かっていかなければならない。そして同時に、
若い仲間が一人でも参加してもらえるように、楽しいことややりがいを、
日々、開拓していきたいものです。


『治りませんように』(みすず書房)も言及されていた。この短い文章の中で、
さらにささやかな紹介のなかで、ぐっさりと刺さってくる向谷地さんの言葉。
あれこれと、連想が止まらない。いけない、もう降りる駅です。


放課後、建物の外へ出ればなかなか美しい夕焼け。
けれども、台風はそちら側とは反対側から迫っているのだから、
「夕焼けがきれいだったら明日は晴れ」という「ことわざ」は、
今日に限っては、信じてはならない。台風に備えよ。


帰りにラーメンを食べて帰宅。ベランダにある植木鉢を風呂場に移すなど、
気休め程度の「備え」をほどこす。娘のあさがおは大きいので、玄関へ。
眠気がすごかったけど、ふとんに転がって宇田さんの文章を、ひとつふたつ、
目で転がしてから電気を消す。