とり、友人と本屋さんにゆく

タイポグラフィ・ブギー・バック

 

今日は学生時代の友人と、数年ぶりの再会。

茶店で思い出話に花を咲かせるのがセオリー。

そこを、はせしょに案内するというのが、とり。

京都駅で待ち合わせ。この3人が揃うのは卒業以来?

島本駅からの道すがら、何を話したのだったか。

 

つきあってきた感じでは、その友人ふたりとも、

かなり濃厚な「読書ライフ」を送ってきているから、と、

今から思えば、わりと安易なプラン設定であったのだが、

「まぁ、小一時間、見てみて、その後どっかでお茶しよう」

とだけ言って、はせしょの森に足を踏み入れた。

 

ふたりの間でちょうど話題にしていた本が、

レジ前の雑誌棚前の平場に一冊、あおむけになっていた。

「ほら、ほら、これよ、この前、言ってたやつ」と手渡せば、

「おー、買う買う」と言いながら本を開く友人。

第一声が、「買う買う」かよ、そのテンポ。

 

誰かと電話する稔さんの声を感じながら、

ココロのピントをどこに合わせていいか探りながら、

「今日、ここで買うならどんな本がいいのだろう」

とかつぶやきながら、心なしかいつもより足早に、

棚から棚へと歩きまわる。辻征夫『船出』がしみる。

 

電話を終えた稔さんに、ご挨拶。開業準備について、

ぼやきのようなことばを渡せば、なんだろう、

ありがちな励ましとも無難な共感とも違う、

風が吹いて枝やはっぱが音を鳴らす、的な、

そういうことばを返してくれるのであった。

 

始まってしまえば、終わることのない、

多忙な時間を生き続けることになるのだ。

言われてみればなるほど、そうか、そうだろう、

それをあと少し先送りしたくて、足踏みの音でも、

心地よく響かせようとか見当違いな遊びに興じていたのか。

 

友人が白川静のことを話し始めて、

ごくごく自然に稔さんがそれに応える。

その本の「良さ」を知っている人たち。

知らないわたし。教えてほしい!と、

強く思った。豊かな森。

 

店内は、地元のお客さんであろう、

何人もの人が行きかい、稔さんとことばを交わし、

それぞれ棚を見て回っている。友人たちも、

ていねいに本を触っている感じだ。

 

レジ前で稔さんと話しながらふと、

通路の向こうに友人ふたりの姿を認めて、

知り合って25年以上の時をへて、

はせしょの棚をいっしょに遊んでいる不思議に、

深くため息。

 

友人たちはそれぞれ買う本を決めた感じで、

「そろそろ」の呼吸。いけない、あたしはまだ、

候補リストさえ作っていない段階。何か所か、

こころが動いた棚の位置は思い出せそうだが、

そこへ向かってもたぶん、まだ、

呼んでくれる本はいないだろう。

 

入り口付近の棚、新刊が寄せてあるあたり、

だいたいいつも自分に声をかけてくる本がいるあたりを、

友人たちの話に生返事をしながらウロウロして、

なんとか買いたい本を見つけようと焦る。

 

「え、もしかして今日、買えない?」

という可能性が思い浮かんで、つかの間、

その思いつきを受け入れるように自分をあやしたりもした。

 

そのとき、やはりレジ前の雑誌棚前の平場で、

ツイッターで見ていた本が目に入った。あぁ、この子、

このお店に入荷していたのかい、よしよし、おいで。

少し前までは、なんというか、「今日、この日に相応しい本」、

そういうのないかないか、と鼻息を荒くしていたところもあったけど、

そんな風に感傷だか演出だかにまみれていない、衝動的な、

自然に手が伸びたかたちで本が買えたのが、

よかったように思います。

 

購入。長谷川書店水無瀬駅前店。

正木香子『タイポグラフィ・ブギー・バック』(平凡社

 

はせしょを出て、お茶でもしようと店を探しながら、

「一日中、見てられるな」とくりかえす友人の声は、

その頃のぼくらを、今もなおぼくらを、支えていた。