6月が燃え尽きてしまう日

上の子の授業参観に行く。

いつ以来か、久しぶりのような気もするけど、

教室の中ほどにいる子の姿は、いつも通り、

とてもこの目になじむように見えていた。

 

この教室で過ごす時間が、これからの、

人生を生き抜く滋養になってくれますように。

 

帰り道、炎天下を歩きながら、

本当に身の危険にも似た恐怖を感じた。

暑すぎるよ、ほんと。自転車の後輪のパンク、

修理に出しに行こうと思ったけど、やめだ。

せめて、陽射しが弱まる夕方を待とう。

 

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長谷川さんと、メッセージのやりとり。

 

「ひとり芝居」の上演にすがっても、

どうにもならんぞ、という気もしてくる。

 

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休みのとも。

松村圭一郎『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)

人が精神を病む。それはその人ひとりの内面だけの問題ではない。もしかしたら、ぼくら自身が他人の「正常」や「異常」をつくりだすのに深く関わっているのではないか。(p.10)

 

4月の終わりのソネット。

GWに勤め先が営業している、というのは、

2019年以来、なのか。どうだったっけ。いろいろと、

記憶が滅びてしまっている。加齢のせいか、コロナのせいか。

果たして、黄金週間を生き抜けるのかしら。

 

膝に力の入らない日々が、続いている。

メンタルの下痢、ということばを、こないだ、

TLに放り出してみた。あんがい、的を得ている気もします。

人に気づかれないまま、必死に括約筋を締めている。

 

4月が終わる。

「俺たちの5月だ」と、娘たちに言ってみた。

私も、娘たちも、5月生まれ。

 

向かいで、「浪漫飛行」を口ずさみながら、

タイピングソフトで遊ぶ長女、5年生。

1年生は、スタイをつけて「ちっちゃ!」。

 

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嬉しい瞬間は、あちこちにあり、

それを手にすることも、できている。

それなのに、気がつくと崖っぷちで、

「さもないと、飛び降りるぞ!」と叫んでしまう。

 

なにが「さもないと」なのか、思い出せない。

さもありなん、の間違いではないのか。

さもしい精神にマスクをつけて、

さも感染症対策万全を装う。

 

命を持て余している。

自分を、持て余している。

退屈が、敵か。退屈が、素敵か。

 

珈琲を美味しく飲めるときは幸せ。

珈琲を飲みたいのにお腹がいっぱいなのは、

不幸せ、ですか?お腹がいっぱいなのは、幸せじゃろ?