山の記憶と夏文庫

八月の六日間 (角川文庫)


連休明け、こちとら連勤の続き。
起きられないかもという恐れをよそに、
いい感じに目覚めて、ごみ袋を持って外へ。
ふと、ケータイを忘れたことに気づく。
腕時計を見れば、狙った電車には間に合わない。
ならば、といったん、部屋に戻って、
ついでに文庫も一冊、鞄に入れた。


読了。
柴田元幸アメリカ文学のレッスン (講談社現代新書)』(講談社

だが最大の『発見』のひとつは、ホームレスになる人間の持つ背景が、時としていかに『一般市民』に近いかという点ではないだろうか。要するにそれは、誰でもすぐホームレスになれるという発見だ。(p.176)


2000年の刊行。柴田さんの「現代社会」に対するコメントが、
16年後の今に、どのように突き刺さってくるのか、
きちんと検証したいが、その能力がないあたし。
巻末のブックリスト、索引が親切。
類書は、すべて見習ってほしい。


連休明け、それほど大変な入荷量ではなかったが、
ひとつひとつ作業を終えて夕方になれば、ほこりのようにたまる疲労
なかなか思うようには進みませんな。しゃあない、しゃあない。
行きの電車で一冊読み終えたので、朝、うまいこと持ってきた、
文庫を鞄から取り出す。家に戻った甲斐があったというものだ。


車中のとも。
北村薫八月の六日間 (角川文庫)』(KADOKAWA/角川書店


目次を見て、八月だけのお話でないことに軽いショックを受ける。
しかし持っていくお菓子が多すぎやしないか?

三年ほど前まで、一緒に住んでいた男がいた。(p.13)


同居人がいなくなった部屋に三年も住み続けているのか。タフだな。
しかし、積んである文庫に指をかけて引き出せるものかしら。
上の方だったのかな。20冊積んであって半分より下なら、
塔を押さえなきゃだ。そういう描写は、ない。


山の話だと分かってはいたけれど、キーンと記憶にしみるよう。
ゆうべも思った通り、一気に読み干して、父に献上したくなる。
ああ、親父ともう一度だけ、山小屋泊まりでどこか行きたいなぁ。
高校時代に父と登った燕岳や槍ヶ岳が出てくる。
燕岳、一泊とかで行けるのか?それなら、
と思いかけて、いやいや、難しいよ。


演劇に剣道。本読みで、山に登る。
うーむ。自分にリンクする箇所が連発。
脳内で大騒ぎしているうちに近鉄奈良に着いてしまった。
「円紫さんと《私》」の文章と、似ている感じがする。
軽いスリルと諧謔と。奈良公園の向こうに大きな月。