おじさんがいっぱい
ゼクシィの前月号が返品できないまま、
残っていた。それを引っ張り出して、場所をつくる。
土嚢のような今月号をせっせと格納していく。
新婚すぎるのはいいが、重すぎるのはいやだ。
片岡義男、のとこ読んだ。2014年現在、今なお、最新の義男に注目し、
新作を求めて読み続けている人にはどう感じるか分からないが、
義男シロートの僕には、義男欲をかきたてるいい文章でした。
Mさんが、お店訪問してくださる。
知っている人がお店に来るとか皆無なので、
舞い上がってしまう。舞い上がって売り場を見下ろせば、
広大で乾いた光景が広がっていて冷や汗をかく。
予想外に予定より一日早い明日入荷の某ファンブックのあれこれ準備して、
なんとか18時前に退勤。明日が休みなのが、ほっとしたような後ろめたいような。
鶴見俊輔のこと、ほとんど知らなかったが、
戦争中にアメリカから日本に帰ることを選んだとか、
いろいろ興味深い。
明日が休みだと、つい油断して、
夜にも本を読んでしまう。
夜ふかしのとも。
鷲田清一、内田樹『大人のいない国 (文春文庫)』(文藝春秋)
おじさんつながりで、挫折してたこいつを読みなおす。
ここでも「おじさん」が語られてますな。そしてふと、
北杜夫の「ぼくのおじさん」をもう一度読みたいと思った。
小学生くらいに読んで、つまらなかった記憶があるのだが、それでも。
私たちは今のところ言論の自由を相対的にはゆたかに享受している。けれども、この事態を「言論の自由など存在しないと言い放つ自由」や「呪いの言葉を吐く自由」に矮小化する人々が「言論の自由」の基盤を休みなく堀崩しているということについては、私たちはもっと警戒心を抱くべきだろうと思う。(p.97:内田樹「呪いと言論」)
本を読みながら、寝るタイミングをはかっている。