娘の腕前

早く家(うち)へ帰りたい


今日は、娘とふたりで過ごす日。
仕事に出かけていった妻を追いかけるように、
外に連れ出す。パンダの遊具があるところへ。
少しずつ、成長している様子が面白い。


けれども、ものすごく成長していることに気がつくこともある。
それはたとえばレジに並ぶお客さんの抱っこしている赤ちゃんが、
「うちの娘よりずっとずっと小さい!」ということに、
衝撃を覚えたりすることで思い知らされる。


いったい赤ちゃん時代は、いつの間に終わってしまったのだっけ。


読了。
岡崎武志読書の腕前 (光文社新書)』(光文社新書


妻も娘も寝てしまったあとに、ちょちょっと本を読む時間が、
最近、ちょいちょいある。これはわりと幸せな時間だ。
今日は、オカタケ師匠の新書を読み干した。


面白い本というのは書き出しが面白い、というのは、
あちゃこちゃで聞く話だが、『読書の腕前』は最後まで面白い。
第六章「国語の教科書は文学のアンソロジー」、
第七章「蔵書のなかから『蔵出し』おすすめ本」が共に良い。


庄野潤三の「夕べの雲」との出会いについての文章も、
改めていいなぁ、とじんわりしみてきた。特に今回は、
「読書の水準器」を獲得した師匠を「イイナー」と感じた。
「ぼくもぼくの読書の水準器、ホシイナー」と思った。


本屋の水準器なら、持っているかもしれないな。
ありきたりかもしれないが、今は、恵文社一乗寺店だな。


第七章のなかでは、「本の本」が気になる。
「ここで紹介するのは書評集や読書論が中心になるが、
これを本気で紹介しはじめると、それだけで一冊になってしまう」(p270)
とある。いいじゃないですか、それだけの一冊。


師匠、いつか、『本よりおもしろい「本の本」』という本を
書いてください!あと、「京都赤貧三バカトリオ」の話も。
・・・三バカトリオってのは、馬から落馬ではないのか?*1

ときに、本それ自体を読むより、本について書かれた本のほうがおもしろいくらいだ。そこで紹介された本がまた読みたくなり、あるいは著者が本を読む姿や仕種を追うことで、読書欲が刺激される。これは読書の永久運動だ。(p.270)


p.283では高階杞一の『早く家へ帰りたい』*2が紹介されている。
そう、先日、夏葉社さんから復刊したアレ*3だ。偕成社のやつ。
これ、いろいろ前情報知らずに読めた人は、幸せですね。
どうしたって、そういう態勢で読んでしまうだろうな。
いや、まだ読んでないし、買ってもないし、あくまで、
そういう予測の域を出ていないんだけど。(言えば言うほど)


オカタケ師匠や山本善行さんが詩を紹介するのが、好きだ。
なんというか、ほんとうにいつもの読書生活に沿った感じで、
「あぁ、お好きなんですね、なんかよさそうですね」という。
マニアックな詩人ばかりでなく、谷川俊太郎とかも出てくるし、
古本屋で偶然手に取った詩集とかが登場するところがまた、
「僕にもそういう出会いがあるかもしれん」と思えて嬉しい。