追憶を乗せて走る

いきしの電車で、山田稔明を聴く。
なんというか、懐かしい気持ちになる。
もしくは、若者だった頃の気分になる。
その気分が久しぶりだから、懐かしい、
という気持ちであるのだが、その気分自体には、
そういう「追憶」は含まれずにただただ、
幸せな前のめり感に満ちているのである。


読了。
糸井重里インターネット的 (PHP新書)』(PHP研究所

いいと思ったものを、他と比べないで誉める練習というのをやってみるというのは、どうでしょう。(p.220)


車中のとも。
檀ふみ父の縁側、私の書斎 (新潮文庫)』(新潮社)

 兄や妹と、ああでもないこうでもないとみんなで知恵をしぼりながら「お片づけ」した日を思い出す。三角と三角、長四角と長四角。長さを合わせ、横幅を考えながら箱にしまわなければ、かならず何個か箱からはみ出してしまう。すべてがおさまるべき場所におさまり、ピシリと蓋を置くことができたときの、ささやかな達成感。
 最後に、あの蓋を閉めたのはいつだったろう、もう二度と積み木で遊ぶことはないと、そのとき知っていたのだろうか。
 何にでも最後の時はある。子供はそうした小さな「卒業」をいくつも経験して、大人になっていく。そうした卒業に、式はない。証書も出ない。ずっとあとになって、ふと振り返ってみたとき、「ああ、いつの間にか卒業していたんだな」と気づくだけである。(p.224)


センチメンタルですなぁ。
こういうの、好きなんですわ、恥ずかしながら。
「ああ、いつの間にか卒業していたんだな」という文章は、
漱石夢十夜を思い出しますね。


購入。
Pen (ペン) 2012年 7/15号 [雑誌]』(阪急コミュニケーションズ)


結局、買ってしまった。
雑誌は後々入手しにくい、という条件が、
一番、背中を押してくれるのだ。