やせこけた人生の鍛え方

わりと降っている。

妻を職場の近くへ送っていく。

帰宅すると、子どもたちは食事を終えていた。

あと少し残っていたこれを読み干す。

 

読了。

長嶋有ジャージの二人 (集英社文庫)』(集英社文庫

 

昼食後、これも書きかけの記事を、

薄れゆく記憶をたぐりよせながら、

書き継ぐ。これはしかし、誰に向かって書かれた文章なのか。

まぁ、自分か。未来の自分以外に宛先はあるまい。

 

7月の、ひとり芝居の記事。

悲しいかな、いろいろなシーンが、

ほとんど思い出せずにいる。スマホで撮った写真や、

稔さんから送ってもらった画像などを見ながら、

ほんとうに、これが自分の人生に起こったことなのか、

疑わしくてしかたない。

 

カスカスの時間を這うように生きている。

いろいろなことが、いっぺんに済まない。

それでもなんとかスイミングの時間までに、

カレーの準備を終えて、上の子にバトンタッチ。

 

食事の準備はメンドウではあるけれど、

毎日やっていればそれなりに慣れてくるし、

そういう生活の慣性は寝ぼけた精神をも明日へと運ぶ。

無職であればなおさら、「生活」を大事にするべし。

 

進級テストの不安を口にしているものの、

それほど不安そうでない下の子の横に腰かけながら、

鋭い目つきの男子中学生の筋肉に見惚れる。

泳いでいるだけであんなに鍛えられるのか。

 

食事の支度をするだけで、

どこか鍛えられてるといいのだが。