面の皮のデザイン

記憶のデザイン (筑摩選書)

 

 

いつも、サボっているわけではないのだけれど、

後ろに動かせない予定が入っていて、シリアスに、

制限時間が設けられているときの作業スピードは、

あがる。ちょっと嬉しいキモチ。社畜か。いや、

そういうことではなかろう。単純に、調子よく、

小走りで駅まで到着するタイムが良かった、

くらいの喜び。社畜じゃねぇよ!

 

社畜、という語に対する、この用心はなんだろう。

こないだ、経営者の話す様子を見る機会があったのだが、

『この人は、降りかかるストレスをどのように処理しているのだろう』

『見た感じでは、自分と同じ人間であるように見えるのだけれど』

などと、思った。経営者に限らず、人はそれぞれ、生きる上での、

さまざまなストレスと折り合いをつけて生きている。

 

それがたまたま、仕事に関するストレスに対して「過敏」な人と、

「鈍感」な人がいたとして、その耐性の違いからなんとなく、

特にそこに仕事上の、というか職場の構造的負荷が過剰でなくとも、

「この辛さに耐えられるあなたって、『社畜』ね!』という風になってしまいそう。

 

社畜』のもたらす弊害は、ほんらいあってはならない構造上の問題が、

多数の『社畜』の耐性の高さのせいで解決を先送りできてしまうことにあろう。

自分の「面の皮の厚さ」が、誰かの苦しみの継続に寄与してしまう、という。

だから、「社畜」と呼ばれるのは、呼ばれるちゅうか、「社畜」として、

誰かの苦しみを取り除かずに澄ましていることになるのは、辛い。

 

でも、自分のことだけを考えるのならば、とりあえずは、

身に降りかかるストレスを何とかしたい。構造上の問題解決でなくとも、

取り急ぎ、「面の皮を厚くする整形手術」でも、とにかくこの、

ストレスを、何とか!何とかしたい!という、落ち着いて、

世界を見渡せるだけの余裕を取り戻すべく、何とか!!

 

面の皮が厚くなることで、

「構造上の問題」が気にならなくなる、

という事態は、避けたい。面の皮の薄かった頃に、

味わった涙のしょっぱさを覚えておきたいと思う。

 

家路の途中、暗くなった商店街に灯る、

本屋さんの灯り。勤め先には入荷しなかった本の、

実物をめくって見る。半分は、おかみさんと話すための、

きっかけとしての購入。

 

購入。ベニヤ書店。

山本貴光記憶のデザイン (筑摩選書)』(筑摩書房

 

話しかけたかったのは、『AERA』の、

島田さんの記事について。*1ベニヤさんでも売り切れていて、

「探して読んでみます」とのことだった。読んでください!