今日のことを記す、記事。

霧中の読書

 

 

こないだ1003を訪れた日の記事を書こうと思ったのだが、

あんがい、ワクワクする感じが起こってこなくて、パラパラ、

荒川洋治とかめくったりして過ごしながら、ふと、

今日の記事を書くのもいいかもしれない、と、

今、こうして書き始めている。

 

今日は、仕事は休みだ。

 

子どもたちは今、向こうで、

さっき私が昼寝したままの布団のうえでそれぞれ、

本を読んでいるのか。

 

下の子は、シールを貼っているような動き。

 

さっきまで微妙なこぜりあいをしていて、

ひとりっ子の僕は、そういう兄弟間のいざこざ、

というか、小さなこぜりあいの経験が無いからか、

すぐに間に割って入って表面上の仲良しこよしを体現させたくなる。

 

なかば面倒くさく、なかば『放っておいた方がむしろいい』という思いで、

たいがいはそのまんまにしておくのだが、下の子がめそめそすると、

とりあえず近くに呼んで、甘いものを口に押し込んだりする。

たいていは、同時に上の子も悲しい気持ちになっているので、

時間をかけて、近くに呼んで、こちらの口にも甘いもの。

 

腹いっぱい、胸いっぱい。

 

はがきを、2枚ほど書いた。

小沢さんと、長谷川さんに。

どちらにも、1003訪問のことを記す。

このあと、ポストに投函する。

 

ポストに投函するときに、1枚でなく、

2枚、3枚と入れるのがなんか、「得」な気がして、

誰かにはがきを書き終えると、「もう1枚、書こう」

とか思ってしまう。でも、たいがい、自分の感傷の、

吐き出す行為に過ぎないのです。おつきあい、ありがとう。

 

休みのとも。

荒川洋治霧中の読書』(みすず書房

 

阿久津隆さんの、メルマガ*1を購読している。

毎週土曜に届く。一時期、読めなくなっていたが、

数か月前に「決心」して、配信日か、遅くとも翌日には、

読み終えるようになっている。

 

コロナ時代の伴走者として、阿久津さんの「呻吟」が、

しみる。数日前、数週間前の記述、というのも、嬉しい。

悪戦苦闘する阿久津さんの日常の思考に、励まされる。

自分の四苦八苦も、なにか、共闘しているような錯覚。

 

外は、すっかり暗くなった。

今日は、寒かった。明日も、

お休みいただいている。

 

すっきりと不安の晴れない胸のうち。

まぁ、それも、仕方あるまい。

そういう、傾向なのだ。

 

曇天は、好きなもののひとつだ。

胸の曇りも、愛すればいい。