財布を忘れてゆかいなサーカス

ケンブリッジ・サーカス (新潮文庫)


ゆうべ、終電ギリギリまで返品作っていて財布置いてきたので、
休みだが店にゆく。ついでに事務仕事をひとつ片づけよう。
未熟なので、通常勤務のときはなかなか進められない。
はやく事務仕事をさくさくと進ませるヒトになりたい。


車中のとも。
柴田元幸ケンブリッジ・サーカス (新潮文庫)』(新潮社)


目次を、そこそこ丁寧にたどってから、「横塚さんのおばさん」へ。
おばさんと柴田さんしか登場していないはずの、ほんの短い文章に、
人生の苦味と、ユーモアとがキュッとつまっている。


なんなんすか、この体験!!!!!!


辛うじて平成の崖っぷちにこの文章を読めたことを何かに感謝せねばなるまい。
ケンブリッジ・サーカス』を積ん読してるあなた、平成のうちに読み出すことを、
ひっそりすすめます。いや、まぁ、別に来夏でもいいけどさ。


(おすすめしたとたんに、余計なお世話をした気がしてしまう)


「横塚さんのおばさん」の次に控えし「永遠の出前おやぢ」は、
さらにスゴかった。参った。


読んで唸った文章の、良さを噛みしめながらTL脱出できないのは、
次なる文章で熱を冷ましたくないからでもあるのだが、すんませんでした、
参りました、魂のチャーハン、あー、チャーハン食べたいなぁ。


そして山崎佳代子、キター!

そのことを思いつくのに、四十年以上かかった。(p.20)


苦い。苦いです、柴田せんせい。


「六郷育ち」のとこ、全て読みきった。参った、参り直した。
個人的に悲喜こもごもだった2008年、柴田せんせいの身の上には、
かくも幸福な奇跡が起こっていたとはなぁ。新しく、
2008年に別な色が塗られた感じがして嬉しい。


駅から家に帰る途中、ベニヤ書店をのぞく。
少し時間に余裕があるときは、「新刊コーナー」だけでなく、
店の奥の方まで足を踏み入れる。足早に平成を通りすぎてゆく、
いくつもの書名が並んでいる。彼らはここで息をひそめている。
けっして、滅びたわけではないのだ。僕が目をそむけているだけ。


ベニヤ書店さんを不特定多数の人たちに推薦することばを僕は持たない。
僕が今、住んでいるところに帰る途中にある、ということが、立ち寄る理由の第一だ。
にもかかわらず、ほんの数分棚を見て回っただけでこんなに魂を回復してくれる本屋も他にない、
とも思っている。けれどそれは、何度も何度も帰宅途中に棚を覗いては買いもせずに立ち去る、
ときどき買う、といった繰り返しを重ねた上で何となく僕の中に芽生えた愛着のようなもので、
初めてふっと訪れた人が誰しもグッと捕まれる種類の魅力ではないのかもしれない。


だから、『本屋図鑑』*1に載っていたの、嬉しいけど不思議でもあったのだ、
失礼ながら。失礼だな、ほんと。ベニヤさん、大好きです。ごめんなさい。
単に僕の感受性が低いだけなんだ。不特定多数の人たち、
奈良に来たなら、ベニヤ書店さんを訪れて、
感受性の低い僕にその魅力を教えて。

*1:本屋図鑑編集部、得地直美『本屋図鑑』(夏葉社)