一人っ子に似たひと

財布の中に小銭が少ししかなく、
昔のイベント用お釣り缶から50円玉を3つ、
探しだしてポケットにねじりこむ。
駅の売店でパンと飲み物、
新聞は横目でにらむだけ。


台風明け、選挙明け、なんとか電車は定刻通り。
TLでバイアスのかかった台風と選挙についてのことばを摂取。

車中のとも。
若菜晃子『街と山のあいだ』(アノニマ・スタジオ


「佐志岳の犬」、「兄に似た人」読んだ。

兄とは子ども時代を一緒に過ごしただけで、兄が大学に入るときに下宿するために家を出て以来、疎遠になってしまった。兄が今どこに住んで、なんの仕事をしているかくらいは知っているが、兄が毎日なにを考えて、どう暮らしているのか、私はまったく知らない。では子どもの頃は知っていたかというと、なにも知らないに等しい。きょうだいというものは、同じ家で同じ親に育てられるだけで、所詮そういうものなのだろうか。(p.178)


兄弟、家族というのは、ほんとうに、人それぞれ、家それぞれで、
不思議なものだ。国が変わったりするとまた、その変化も大きくなろう。
僕はといえば一人っ子なもんだから、「うちの兄弟はこうです」と言えないのが、
残念と言えなくもない。一人っ子は一人っ子で、家それぞれだろうから、
「うちの『ひとり具合』はこうです」とかは言えるかもしれない。
でも、兄弟話と比べると、盛り上がりに欠けそうな気がする。


それでも、トークイベントとかで、その人が一人っ子だと知ると、
とても親近感がわいてくるもので、いつかそういう人たちと、
心温まる一人っ子トークで盛り上がりたいんだけど、どうか。