偶然を装填か

偶然の装丁家 (就職しないで生きるには)


妻子のいない夜を本を読んで過ごした。


読了。ゆうべ。
渡邊十絲子今を生きるための現代詩 (講談社現代新書)』(講談社

いま人間にできることは、謙虚になるきっかけとしての詩に接することだ。(p.203)


さて明日は何を持っていこうか、と本たまりを漁る。
本たまりには、最近買ったり借りたりした本がたまっている。
矢萩多聞の『偶然の装丁家』を手に取る。よさそうだ。
巻末に載っている写真、恵文社一乗寺店でないか?
こっちは賀茂川のY字になるとこじゃないのか?
これにしよう。


そうして、夜が明けて、例によって駅まで走る。
改札中のファミマには微妙に人が並んでいて、
パンを買うのを諦める。車中で送品表をチェックしたあと、
ツイッターをさかのぼっていく。TLに、気になる情報。
恵文社一乗寺店にて、矢萩多聞さんと、近藤雄生さんトークショー
行こうと思えば行ける。しかし、今日の雑誌入荷は少なくはない。


どうして、行くことにしたのか。行くように、仕向けたのか。
背水の陣をしくために、昼休憩のとき、恵文社に電話して、予約。
予約しないでおいて、仕事が終わらないや、ってんで、
行かないことだってできたのに。


   近藤雄生×矢萩多聞 「旅にでよう、本をつくろう」
   恵文社一乗寺店にて18時スタート。


無事に、退勤。
恵文社に向かう。
京阪で京都に向かうのは、
前に、旧友に会いに行ったルート。
あの夜も、いい夜だった。


矢萩多聞『偶然の装丁家 (就職しないで生きるには)』(晶文社


「はじめに」が、とても心地よい、ゆったりとした語り口で嬉しい。
扉の本棚の写真も素敵。『荒野の古本屋』*1が二冊差さってる。
少しずつ、本の世界に入っていく。多聞少年が学校に行かなくなる。
そして、石井博先生が登場する。遅刻した多聞少年に、先生が言った。


『もっと堂々とはいってきなさい』(p.25)


谷川俊太郎「生きる」が出てくる。ほらみろ!
と、渡邊十絲子に毒づく。まぁ、先生に恵まれなかったんだな。
授業で取り上げられた詩に、罪はない。詩がその子の中で毒となるか、
その後の人生で振り返る道標になるか、人それぞれだ。
多聞少年とアイダくんとでは、「生きる」の意味は、
違っている。「それは死ぬこと」というフレーズ。
それぞれのちいさな体に、石井博先生が、
毒となったこともあるかもしれない。


中学に行かなくなって、インドで暮らすことになって、
叡山電車一乗寺に着いてしまった。トークには間に合ったが、
もっと読み進んでからトークにのぞみたい気もする。
恵文社の店内に入る。入ってすぐのテーブルに、
『偶然の装丁家』や『終わりなき旅の終わり――さらば、遊牧夫婦』が。
頼もしい本屋さんから背中をばしばし叩かれたようないい気分で、
奥のコテージへ進む。受付周りに本が並べてある。ちらりと見て、
受付をすませ、最前列のイスで空いているところを探す。


始まる前に、多聞さんが飲み物サービスの案内をしてくれる。
この人が、多聞さんか。「途中休憩のときでも、どうぞ」と言われ、
途中休憩のときでは混むかもしれぬ、と、開演時間が迫っていたが、
チャイをもらいに行く。ミシマ社の三島邦弘さんの姿もある。


トークは、とてもよかった。
前半、本の造りについての解説も、多聞さんの装丁した本を使って説明して、
気になるなぁ、という本がどんどん出てきた。誠実で丁寧で、
お客さんに対して親切な感じの多聞さんと、自分の中の素直な気持ちから、
我が道をゆくようにコメントを投じる近藤さんとのナイスコンビで、
会場の熱気は少しずつ高まっていくようだった。


休憩のあと、近藤さんと多聞さんの、生き方の話になって、
ぼくの脳内ひとりごとが、やかましくなってきた。
ふたりの話がとても面白いのだが、それに対して心の中でいろいろと、
連想することが湧いてきて湧いてきて、体が火照ってくる。
前半はメモを取ったりもしたが、後半は、「メモりてぇ」という
脳内のセリフはことごとく立ち消えてしまって、身動きがとれず、
しばし、息をするのも忘れるくらいであった。


トークのあと、受付に置いてあった多聞さんの、
『インド・まるごと多聞典』をぱらぱらする。
石井博先生の名前に気が付く。
石井先生との対談が?


図書カードで買いたかったので、受付のお兄さんに、
恵文社の店内に持ち込めるか尋ねた。だいじょうぶ。
ぼくは、火照った体を分厚い本で支えるようにして外へ出た。
そして、恵文社の店内に帰還した。懐かしさすら感じた。


ツイッターやネットで見聞きして気になっていた本が、
あちこちで姿を現す。ああ、こういう本だったのか。
ほう、あなたもここにいましたか。けれども、トークの熱気が、
恵文社リスペクトを曇らせてしまっているのか、ただいたずらに、
店内をうろつくだけで時間が過ぎていく。妻から着信もある。


一冊、探していた本があって、勤め先にも一度だけ客注で入荷したのだが、
よく見る前に売れてしまって、以後、実物を見ない本があった。
そいつがあったら、買おう。それなら、買える。買いたい。
よそでは、たぶん、ない。でも、美本ちゃんのぼくとしては、
傷んだ本が入ってくることが怖くて取り寄せることはしたくない。
「美本で」と念を押して注文を取るのも、憚られる。


店頭で、「おお、こいつか」と手にして、触って、
恍惚として、レジに持っていきたい。


意識が白濁してきたころになってその本は、見つかった。
2冊あった。面陳になっていた。一度目は気づかずに、
その隣りの本を一瞥して棚の前を離れてしまっていた。
別のところに同じ著者の同じ出版社の本を見つけて、
目当ての本がないことに落胆したりしていた。


購入。恵文社一乗寺店
矢萩多聞『インド・まるごと多聞典』(春風社
今江祥智子どもの本の海で泳いで』(BL出版


松ヶ崎まで歩きながら、すごいトークだったよな、と思う。
途中で「いいトークに来たなぁ」と思ってから、
3回くらい、没入して、また意識を取り戻して。
脳内ひとりごとが駆け巡るときと、全細胞が耳となるときと。


何かのギアが噛み合った気がした。
あるいは、噛み合っていることに気が付いた気がした。
はしゃぎすぎてはいけない、とも思った。


帰りの電車で、多聞さんの本を読みつぐ。
トークで出てきたこと、出てこなかったこと、
面白く、読み進む。「絵を描くこと」がとてもよかった。
よかった次に、「本をつくる仕事」が来た。
これまでだってよかったのに「本」が出た。


そして、さらに、
谷川俊太郎さんが登場した。


そういえば、受付横で初めてその本を見たときに、
谷川俊太郎」という名前が目に飛び込んできたよ!
そういうことだったのか。そういうことだったのか。


石井博先生が登場している、ということだけを頼りに、
40ページほどしか読んでいなかった『偶然の装丁家』が、
こんなにも面白いと知らなかったにもかかわらず、
『インド・まるごと多聞典』を購入した自分を、
ほめてあげたい。


帰宅して、きのうのパスタを温めて食べた。