もうほとんど大人

海の深み―ステフィとネッリの物語〈3〉


土曜は、ダイヤが平日と違う。
用心して、早めに出かけなければならない。
なんて、たった数分のことであるけれど。
送品表をチェックしてすぐに、
ステフィの物語へと。


車中のとも。
アニカ・トール、菱木晃子『海の深み―ステフィとネッリの物語〈3〉』(新宿書房


昨日の続き、ユディスからの電話のあたりから読みだす。
教会、ユディスの失望、ヴェーラの秘密、マイとその家族の訪問、
メルタの愛、ネッリの事件、そして葉書。

その長い夜の間、メルタはずっと長椅子のそばにすわっていた。(p.238)


ざわついた心をなんとかコートのなかに押し込んで、店へと急ぐ。
ナイーブすぎやしないか、と店長にからかわれた気がした。
実際には、本を読んで動揺していることを、
店のひとに話したりはしないのだけれど。


東京の本屋さんでバイトをしていたころ、
昼休みに小説を読んでいる人のはなしを聞いて、
その物語が日常に、仕事に侵食してこないのか、
気になったことを思い出した。


幸か不幸か、ステフィの物語の影響はそれほど深くなく、
雑誌をおろすころには、すっかりいつもの自分になっていた。
今日入荷すると知っていた『アイデア大全』の姿を確認し、
力をもらう。担当がお休みなので、棚には出ない。
ブックトラックに載ったままのそれを、
通りすがりに眺めては力をもらった。
昼過ぎに、ブックトラックを売り場に出した。
その前を通りがかったお客さんが手に取らないとも限らない。
けれども退勤して再びブックトラックの前に立った時、黄色い本は、
依然として5冊仲良く積みあがったままであった。1冊取ってレジへ。


購入。
読書猿『アイデア大全――創造力とブレイクスルーを生み出す42のツール』(フォレスト出版
辻恵子『辻恵子作品集 貼リ切ル』(東京ニュース通信社


辻さんの本は、妻へのおみやげ。
インタビューが載っているのが嬉しい。


メルタのかわりにビョルク先生が椅子に座っていたシーン。
一気に、記憶がステフィの物語へともぐりこむ。そうだった。
ネッリのところに行かなくてはならないのだ。回りくどいようなステフィの物言いに、
ステフィの心情をはかりかねたが、どう話していいかわからない結果、
こういう転がし方、転がり方になってしまったのだろう。
ステフィがメルタとともに行ってしまった日の、
ネッリの絶望を、改めて突きつけられる。


35、ステフィを支える周りの人たちの優しさが嬉しい。
「ステファニー、わたしを信じなさい」というビョルク先生のことばは、
それだけでステフィの一生を支えられるのではないか、というくらい。
ぜんぜん関係のないぼくまで支えられたつもりになってしまった。

十六歳。もうほとんど大人だ。
子ども時代はおわった。(p.256)


38歳(ふたりの娘と妻あり)。
子ども時代はおわってますよ?
もういいかげん、大人になっていいはずだ。
それなのに、胸を張って、ステフィを導く自信がない。
いつか破滅がやってくるような不安を胸に抱いたまま、
「もうほとんど大人だ。子ども時代はおわった」というセリフを、
今でもぶつぶつと自分に言い聞かせているのがわたしだ。


読了。
アニカ・トール、菱木晃子『海の深み―ステフィとネッリの物語〈3〉』(新宿書房


良かった。
アキラコさんの訳者あとがきも、充実していた。
4作めも、早く読みたい。図書情報館に行かねばな。
そして、誰か、読んだ人と話がしたい。
こういう気持ちはあまり起きないので、
不思議な感じ。


誰が読んだら、面白いと言ってくれるか、
考えたり。どんな風にすすめたら読んでくれるか、
考えたり。近鉄奈良駅が近づいて、あわててあとがきにあった、
時代背景を知る手がかりとしての参考図書の中から、
いくつか書名を控える。本を閉じて、装画を見て、
この本はやはり、ステフィとネッリの物語なんだ、
とかみしめる。最後のシーンなのだろうか。


シリーズ4作とも、同じ方の絵なのだろう。とてもいい。
「Illustration by Shigeko Nakayama」とある。*1
漢字表記は、ぼくには見つけきれなかった。奥付にも見当たらない。
装丁・装画の好き嫌いで、物語までたどり着けるか否か、
左右されることは多々ある、と思う。ぼくは好きだった。
おかげで、この物語に入っていけた。
シゲコさん、ありがとう。