東京ひとり、本屋さんたち

246 (新潮文庫)


Titleさんは定休日だが、子連れ上京。
子どもと楽しむことが最優先、と、
わざわざ宣言するのは、むろん、
自信がないからである。


新幹線で、次第に退屈してきた娘の機嫌を、
なんとかとりつくろいながら、東京の地図を見る。
あまり持ち歩かないのだが、久しぶりに、持ってきてみた。


車中のとも。
文庫判 東京都市図 (文庫判)』(昭文社


2007年版なので、新宿の三越アルコットにジュンク堂
小田急三省堂の表記がみえる。ガラクタケータイだと、
地図サイトを利用するのに不便なので、紙の地図、
そして駅前に設置してある地図が重要なのだ。


名古屋からの時間を、だいぶ持て余したが、
なんとか爆発することなく、東京駅に到着。
母と合流して昼食を取ろうとするも、駅ナカに食事ができる店が、
ぜんぜん見つからない。仕方なく、食事抜きで離脱することにした。


今朝の誓いはどこへ行ったか、娘を残してきてしまったことに後ろめたさを感じつつ、
これから半日の単独行へと気持ちを切り替えてゆく。


ゆうべ、小旅行へのときめくキモチに邪魔されて、
持参本の選定が暗礁に乗り上げたと青ざめたとき、
まさかのこの分厚い文庫が挙手しているのが目にとまった。
冒頭をチラリと読み、装画に赤井稚佳の名前を確認、採用した。
ひとり中央線の中、読み出して、次々と出てくる東京の地名に、
胸がときめく。僕もまた、今、東京にいるのだ。


この本で、正解だった。


車中のとも。
沢木耕太郎246 (新潮文庫)』(新潮社)


新宿。人ごみと記憶をかき分けて進む。
初ベルク*1。こんなとこにあったのか。
一時フォローしていた井野朋也さんのお店。マスタードとケチャップ、
おつけしないのをオススメされたので素直に従った。正解。
オススメには素直に従おう。ソーセージ、うまい。
カウンターで立ち食いも、気楽でいい。


いい具合に腹を満たして、しっかりひとりモードに切り替わる。
紀伊國屋書店新宿本店*2に寄って、「セーラーとペッカ」シリーズの在庫を確認する。
なかった。それだけで次へ。これが東京。今日は、いくつも本屋さんを回るのだ。
売り場にない本に、用はないのだ。続いてうろ覚えの新宿のアンジェ*3を探す。
ラクタケータイでも、店名が分かれば検索できる。ビルが分かれば、
駅周辺に地図がある。地下通路にも地図はある。新宿マルイ本館8階。


以前にもここで友人へのプレゼントを買った。今日は、母に誕生日プレゼントを買う。
わずかな空間に並ぶ本たち、飾りと呼ぶヒトもいるかもしれないが、平積みされた『茨木のり子の家』*4など、
しっかりと存在感を示している。もちろん、客が文脈を持ち込んでこその効果ではあるにせよ。


新宿から後楽園へ。丸ノ内線だとえらい遠回りな印象だが、しかたない。
沢木耕太郎『246』を読み継ぐ。娘にオハナシをしてあげる話、
手帳にもしものことがあったときの連絡先を記す件など。


どんどん読み飛ばしてもゆけるけれど、
踏みとどまって本を閉じる。すぐにまた開いても、
同じところを読んで、もう一度、閉じる。


一度地上に出た丸ノ内線は、赤坂見附に向かってふたたび地下へ潜り込む。
何かがこころに灯っているような気がしている。
その灯りに目をこらせばいいものを、愚かにも、
携帯電話を開いたりしてしまう。TLに、
ライオンさんの咆哮を聞く。

【本日の営業についてお知らせ。】 大変申し訳ありませんが、本日は15-17時までの営業とさせて頂きます。お店番予定の母がインフルエンザとなってしまいましたので、急遽店主がお店をあけますが、夜に外せない予定がありますので変則的な営業時間となります。何卒、ご容赦ください。*5


後楽園も、地上駅だった。
丸ノ内線は、こんなにもひんぱんに地上に出る地下鉄だったか。
途中、御茶ノ水あたりでもちらりと明るくなった。
中央線から見える辺りだろうか。大好きな、
「今日もお元気で」の看板の辺り。


こないだは娘と一緒に歩いた道を、
今日はひとりで、傘を差してゆく。
入り口で、傘袋に傘を入れて、本屋さんへ入る。
傘袋があると、雨の日でも、安心して本屋さんに入れる。


新刊台、『これからのエリック・ホッファーのために』*6周り、公開書簡フェアと見て回る。


『これからの・・・』の「はじめに」と「あとがき」を読む。
非常に惹かれるが、わたしは今、学問の徒ではない、と、
棚に戻す。何にこんなに惹かれているのか。


公開書簡は、前回より、それぞれ1通ずつ増えていた。
絲山秋子さんとアルチさんの手書き文字。震えた。
こないだのときは、今日ほど震えなかったのに。
絲山さんの手紙も良い。だが、アルチさんの文章がヤバすぎる。
もちろん、ふたりのラリーが心地よいということだ。来てよかった。


今回は娘がいないので、ゆっくり見れると思ったけれど、
遠くで双子のライオンが鳴いているので、泣く泣くレジに行く。


購入。あゆみBOOKS小石川店。
布施太朗『父親が子どもとがっつり遊べる時期はそう何年もない。』(三輪舎)


ガラケーの乗換案内と、昔の記憶とを駆使して、
てきぱき乗換え、小走り、赤坂にたどり着いた。
予想よりはちょっとだけ遠かったが、無事に、
双子のライオン堂*7に到着。
傘を外に置かせてもらって、店内へ。
靴を脱ぐ。スリッパをはく。
上着を脱ぐ。鞄をおろす。


態勢が整った。客は僕だけだ。
棚をはじから、みっしりと見てゆく。
下の方の棚を見るときは、しっかり膝を曲げて、
しゃがみこんで見る。棚から棚に移動するときは、
わりと思いつくままに、ひらりと身をひるがえす。
同じところに戻ってきたりもする。本を触ることは、
案外少ない。それほど中を見たいと思わなかった、
というのはあるのだが、それは決して、
退屈だったわけではない。


この、背表紙を読みながら棚の前を移動していくことが、
本を読んでいる行為自体のようだったので、ことさら、
ページをめくりたいと思わなかったのではないか。
比喩ではなく、本の中に入ってしまった感がある。
解説もなく、ファイルされたマンガ原稿、
のようなものがあり、読んでみた。
それは、双子のライオン堂を訪れた、
中学生か高校生の女の子のお話だった。
店主とことばを交わす前だったけれども、
双子のライオン堂での楽しみ方が分かった気がした。


それは、すでに僕が楽しんだ楽しみ方と、ほとんど同じだった。


お店が紹介されている新聞の切り抜きも置いてあった。
読んだ。ゾクゾクした。あぁ、ここは、なんというか、
逃げ惑う難民がようやくたどり着いた「味方の基地」なんだ。
本屋さんの味方なんだ。勝手に納得して、ひと通り棚を見終えたので、
買おうと思っていた本と冊子を店主に差し出す。あと、無料冊子たちも。


購入。双子のライオン堂。
ジョン・レノンオノ・ヨーコ、アンディ・ピーブルズ、池澤夏樹ジョン・レノンラスト・インタビュー』(中央公論新社
『本屋入門〜双子のジャンク堂編〜』


想像以上に入りにくい扉だったが、
期待以上に濃密な時間を過ごした。
また来よう。


さて次は、神楽坂だ。地下鉄の中、TLを眺めながら、
熊本の橙書店に行きたいな、と思った。しかしここは東京だ。
絲山さんとアルチさんとのやりとりの中の「不在」について、
思う。双子のライオン堂でも、公開書簡あって、読んできた。


   もし東京に存在する私がいるのなら、
   公開書簡フェアやってる本屋さんを巡って、
   公開された書簡を読了して欲しい。
   東京に不在の私からの、お願い。


沢木耕太郎『246』、先へと読み進む。
この「日記」が1986年の話だということがp.36にてようやく判明した。
そういえば、神楽坂駅には新潮社があるのではなかったか。
神楽坂、新潮社と連想して、その先に、
かもめブックス*8のことが浮かんできた。


なぜ、今まで思いつかなかったのか。
地上に出て、まずはかもめを目指すことにした。
閉店した本屋さんの跡に開店した、というエピソードは聞いていた。
おそらく、あの本屋さんが閉まったのではないか、という見当があった。
思っていた通り、そこに輝くお店があった。もう、日が暮れていた。


店の中は、けっこうお客さんが入っていて、
入ってすぐはカフェになっており、洒落ていて、
スタッフもけっこう多くて、なんというか、
「このお店は、だいじょうぶだな」という、
『おまえ、何様だよ』な気分が生じる。
何というか、本屋さんや出版業界の周りにたちこめた、
かび臭いホロビノケハイが、ここにはないようなのだ。


新刊の文芸単行本や文庫もある、雑誌もあった。
ちょっとテーマを設けて並べた文庫のコーナーも良かった。
一番奥に潜んでいた漫画部屋も、美味しそうだった。
ツイッターで気になっていた本もあれこれあった。
ぼくの好物の、「本の本」もたくさんあった。


それでも、1冊が決まらない。
他の人が買わなそうな、今日の、今の、
ぼくしか買わなそうな、かもめさんで買わなきゃな本が、
しかも、ちょっと値がはりすぎず、かさばらず、
そんなずうずうしい要求に応えてくれる本を、
選びきれないまま、いったん店を出た。


次の予定まで、まだちょっとある。
急いで神楽坂モノガタリを訪ねて、
もしも時間が残っていたなら、と、
雨の中、神楽坂上の交差点へと向かった。
大久保通りを左に折れて、さらに路地へ入りこむ。
住所は、「神楽坂6-23」だ。ツイッターのプロフィール欄に、
書いてある。営業時間とか、住所だとかをプロフ欄に書かない店は、
いったい、お客さんがどうやって店を探しているか、
想像しないんだろうか、ぶつぶつ、電柱に、
住所を必ずつけておいて欲しいんだよな、
このあたりが「神楽坂6-23」なんだよ、
面白そうなレストランというか、
食べ物屋さんがあるけど、
どれかの2階にあるんだろうか、
なんか、ショップインショップみたいな感じじゃなかったか、
ガラケーでも見れるサイトで、なんとか詳細情報を探そうとするも、
なかなか見つからない。食べログにもアクセスしてみた。
「神楽坂6-43」、6の、よんじゅうさん?


それは、今まで探していた住所ではない。
しかし、食べログさんよ、ツイッターのオフィシャルプロフィールには、
「神楽坂6-23」と書いてあるんですぜ?とぶつぶつ言いながらも、
再度、ガラクタケータイでもアクセスできるYahoo地図サイトで、
「神楽坂6-43」を検索、あっちだ、急げ、あぁ、こんなにも、
こんなにも神楽坂の駅前じゃないですか、と脱力する。


階段を上る。店に入る。なんだこの高級感は。
雨に濡れた貧乏人は、店の中で居心地が悪く本棚を眺める。
もう時間もない。けれど、どうだろう、かもめブックスでは決められなかった僕が、
ここでは、すっと手を伸ばしているじゃないか。


購入。神楽坂モノガタリ
倉嶋厚原田稔雨のことば辞典 (講談社学術文庫)』(講談社


レジにて、つい、ツイッターでの住所表示について口にしてしまう。
感じのいいスタッフの皆さんは誰しもが、口ごもるように、
「そっち方面はちょっと・・・」という感じで、
まぁ、そりゃそうか、と店を出た。追いかけるように、
「奥さま」が見送りに出て、声をかけていただいた。
住所違いのことがなければあるいは、もっと卑屈になって、
スタッフの人とも交流することなく、一冊も買えず、
ただただおのれの貧しさを思い知って帰るはめになっていたかもしれない。
また来よう、という気持ちになっていた。できれば、財布の中身をもっと、
充実させて、さらには、年齢も重ねて、お店に似あうような感じになって。


後ろの予定もあって、かもめさんに引き返すのは断念。
その場で選び切れなかった自分の未熟さを憂う。まぁ、
かもめさんは、長く続くんじゃなかろうか、
少なくとも私が次に神楽坂に来るまでは、と、
再び、『おまえ、何様だよ』な思いが胸をつく。
思うように買えなかったときは、「次にまた来ることを約束した」と思って、
納得する。案外、納得できる。そういえば、今日のライオンさんとこでも、
3冊めを買って三冊屋の呪いを払拭したかったのだが、また次回。
かもめさんでの1冊も、次回への約束。神楽坂モノガタリも、
次は珈琲なりなんなり、椅子に座ってくつろぎたいね。
(コーヒーはしかし、かもめさんとこにもあるよ?)


ツイッターで、公式アカウントにメッセージを送ると、
すぐに久禮さんから修正したむね、返信があった。
これで次に来るときは迷わずにすむぜ。
(←いや、もう場所覚えたし!)