秋の善行堂参り2021
ここ何回か京都駅からバスで行くというのが続いていて、
出町柳から行ったのは、いつ以来だったか、あの、
レンタサイクルの会員カード、持ってこなかった、
やはり今日も京都駅まで行ってしまおうか、とか、
うじうじ考えながら乗換案内をはしごする。
車中のとも。
堀江敏幸『雪沼とその周辺 (新潮文庫)』(新潮社)
「河岸段丘」を読み終えて、本を閉じる。
車窓の外に、目をやる。いい天気だ。出がけに、
もう一冊欲しいと思って、『漱石全集を買った日』を、
鞄に入れることができた。なんでか知らんけど、
かたくなに棚に差しっぱなしにしていたのだ。
とうとう、読む日が来たのか。
乗り換え案内、結局、出町柳からバスで行くことにする。
バス乗り場の位置なぞも検索する。なんでも検索やな。
安心して、堀江敏幸は鞄にしまって、善行堂へと、
キモチを高めていくことにする。
車中のとも。
山本善行、清水裕也『漱石全集を買った日―古書店主とお客さんによる古本入門』(夏葉社)
「はじめに」を読んで、泣きそうになる。なんと優しいことば。
あぁ、善行さんに会いたい!(←いま、向かっておるわい)
素晴らしすぎる写真ページを雑に楽しんだ後に、
ついに対談を読み出す。言いたくない、言っても無意味なこのことばを、
どうしても言いそうになってしまう。
「もっと早く読んでおけば良かった」
すぐに「そうじゃない!」と脳のどこかで返事が聞こえる。
あの、「はじめに」のやさしさがしみてきたのは、この、
ボロボロに傷だらけになっている2021年のハートゆえ。
いま、こうして優しくしてもらえているのも、たまたま、
これまで読まずにいたから、初読がめぐってきたに過ぎない。
出町柳で、チラッとレンタサイクル屋の姿を確認し、
バス停を探し、見つからず、思っていた通りと違ってたことに気づき、
小走り、まだ間に合うはず、と思いつつ、バス停に到着、よし!
ぜんぜんバスは来ないけれど、隣りのカップルの会話から、
狙いの番号のバスは来るはず、と踏んで、
『漱石全集を買った日』を読み続ける。
バス、来た!
12時少し過ぎ、善行堂、まだ開いていなかった。
どうすっかなー、と思ったが、天気もいいし、
ぶらぶらしてたら開くかしら、と思って、
でも善行堂のそばに寄っていったら、
善行さんが開店準備を始めた。
前回来たのは、3月だったか。
4月に取り置きのお願いを連絡してから、
半年以上、ご無沙汰してしまった。ようやく、
「不義理」を解消できる、の安心感。
開店早々、他のお客さんもいて、
ゆっくり棚をみることにしよう。
(おしゃべりは、そのお客さんにおまかせw)
購入。古書善行堂。
林哲夫『日々スムース』(書肆よろず屋)
田畑修一郎『石ころ路 (灯光舎本のともしび)』(灯光舎)
今日は棚もゆっくり見れたし、
おしゃべりも堪能できた。
善行さん、ほんとうに,
古本の神様みたいだな。
季節ごとに、
お参りしたい。
少しお腹が空いてきた。天気がすばらしく良いので、
デマチを目指して歩き出す。食べ物屋さんを過ぎるたび、
入ろうか、どうしようか、迷う。いや、迷うは言い過ぎか。
正確に言えば、『入りたい気持ちが少し、でも気おくれ120%』
くらいな感じか。進々堂の前も通り過ぎる。ここで、
カレーを食べた日もあった。もう二度と行けない、
そんな気がした。ひとりで、「知らない店」に、
入っていけなくなってしまったのかもしれない。
そんな風に心細い気持ちが産毛のように顔の周りで揺れている。
学生の頃には、ドイツに旅行にだって行けたのに。ことばも通じないのに、
床屋に突撃したことだってあったのに。そんな日はもう二度と戻らないのか。
百万遍の交差点。蟲さんと善行さんとのトークを、ガケ書房で聞いたな、
ということを、思い出したり。
結局、コンビニで菓子パンを買って、食べる。
本屋を楽しんだ日は、菓子パンで十分なのだ、と、
沖縄の路上で強がったことを思い出す。
思い出してばかりだ!
老人か!(←中年だ)
ツイッターで、ぶつぶつつぶやきながら、
『漱石全集を買った日』の続きを読む。
むちゃくちゃ面白い。
他の店にある本でも、その店に並んでいるとなんだか読みたくなる、魅力的な本に見えてくる、というのも良い書店に感じることですね。(p.60)
とにかくなんでもいいから古本屋に行きたい!
という思いがどんどん強くなって近鉄奈良駅に降り立ったが、
このあと、子どもの用事があって、急いで帰らねばならなかった。