本を読む人、文字を味わう人

本を読む人のための書体入門 (星海社新書)


どうやら、娘は水ぼうそうらしい。
急遽、今日の予定を組み立てなおす。
妻には午前中だけ仕事を休んでもらって、
その間に健康診断を受けに行く。健康診断後に、
知人の演劇公演を観に行く予定は、キャンセル。


車中のとも。
正木香子『本を読む人のための書体入門 (星海社新書)』(講談社
ずっと大好きだった雑誌の書体がごっそり変わってしまったところを読む。
正木さんの、本や書体を語る距離感に、親近感を覚える。


去年も行った診療所で健康診断。
健康診断だけを請け負っている施設のようで、
手際がものすごくよい。老若男女が同じパジャマ姿で、
あっちこっちへ動かされて、じきにゴールへと導かれる。


例によって採血の苦手なぼくは、寝て採血方式をお願いする。
効率よくすることを至上としているように見えながら、
採血弱者とわかるやいなやスローダウンして丁寧に。
他にも気分が悪くなったのかイスに横になる女性も。
すぐに何人かスタッフが来て毛布をかけたりしている。
その様子を見て、こちらまで気分が回復していくように思う。


診療所横の珈琲屋に行きたいなぁ、と思いながら、
駅まで引き返す。予定より早めに帰れそうだ。
朝飯を抜いているので空腹のぼくに、
昼食を用意してくれているというメールがうれしい。


電車で、再び、『書体入門』を開く。
雑誌に掲載されている時の書体に注目して、「書籍化されたら味わうことのできない、
雑誌連載ならではのおもしろさでした」(p.135-136)って、すごい!
ぼくなんか、小説一本読むなら、雑誌よりも単行本化してから、
単行本化したらしたで今度は文庫になるのを待ったりして、
すぐに購入を先送りする理由ばかりわいてくるのだけれど、
書体に詳しいと、雑誌購入するときに頼もしい援軍にもなるのか。


帰宅して、3人で食事。思いがけず、3人ランチ。
すぐに妻は仕事に向かう。午前中に観ていた昔ばなしのDVDが怖かったとかで、
「お口直し」にスヌーピーのDVDを観せる。気づくと床に転がって眠っていた。
娘に「お昼寝する!」と起こされて、布団を敷いて寝かす。軽い昼寝で、
回復した意識でもって、『書体入門』を読み干してしまう。


読了。
正木香子『本を読む人のための書体入門 (星海社新書)』(講談社


書体のことを書いてある本だが、同時に読書についても静かで深く考察されていて、
読みながら、本を読むことや、本屋さんに通うことについてまでも、
いろいろ連想が広がって、面白かった。「いつまでもあると思うな」、
と言われているようにも思った。何度か出てきた「わたしのせいだ」という思いは、
ぼくが、閉店する本屋さんに対して抱いた感情に似ていると思った。

 私が執筆を始めた大きな理由のひとつは、文字に対して抱いている感覚を、このままではきっと自分は忘れてしまうだろうと思っているからです。いつか何も思いださなくなる日が来ることがこわいからです。
 そんな私に、こう言ってくれた人がいます。
 どこの誰だかわからない人々に向けて、くりかえし言葉を変え、言い方を変えて、伝えようとし続けるのが物書きの性ではないか。あなたはもうその一歩を踏み出したのではないか。(p.205)


娘は平和に寝ているので、本棚から3冊ほど本を持ってきた。
結局、1冊をぱらぱらしているうちに娘が起きてきたのだけれど、
この3冊ほど近くに置いて読書に臨むというシチュエーションは、
近年まれにみる「読書黄金時間」でございました。


読書黄金時間のとも。
考える人 2014年 05月号 [雑誌]』(新潮社)


表紙のトーベ・ヤンソンの写真を見て、
『女みたいだなぁ』と思ったのだが、女の人でした、ヤンソン氏。
柴門ふみ「血肉となったケストナーエーリッヒ・ケストナー飛ぶ教室』)を読む。
これ、やっぱり読んで泣けてしまうお話なのだね。


サンキュー・タツオの『モモ』礼賛は、ミヒャエル・エンデの功績というより、
翻訳者の日本語がよかったのではないかしら、と思ったり。
海外文学を堪能したとき、原作がないことにはもちろん、
その喜びは発生しようがないのであるが、半分くらいは、
翻訳者のおかげなんじゃないかな、と思った。


谷川俊太郎インタビューを読む。
「小特集 石井桃子を読む」の中に位置づけられているが、
ほとんど、谷川俊太郎本人の児童文学やこどもとの関わりについて。


イラストが気になって、さげさかのりこ「娘と私」を読む。
娘さんは中学三年生。うちの娘も、いつか中学三年生になるのだろうか。
「編集部の手帖」に目を通して、向井万起男「どんな本、こんな本」を読む。
「この欄の基本方針」に多くの文字をさいているのだが、これが面白い。
角野栄子のインタビューは、いつかのお楽しみ。