一緒にコーヒーを飲むように

偶然の装丁家 (就職しないで生きるには)


ずいぶんと朝寝坊してしまう。
ひとりの朝。午後から用事があるので、
洗濯だけでもすまさねば、と布団から這い出す。
5月は、服装が難しい。長袖を二枚重ねれば、
駅に着くころには汗ばんでいた。


車中のとも。
矢萩多聞『偶然の装丁家 (就職しないで生きるには)』(晶文社


昨日の興奮の余韻が残っている。
すぐには本文に入らずに、挟み込み(投げ込み)の
「就職しないで生きるには21通信」を読む。
ミシマ社通信を思い出す。


昨日のトークでも、投げ込みの話、出たな。
装丁家からの提案で実現することもあることを知った。
安原顕の『乱読すれど乱心せず』*1でのことだ。
「通信」にはミロコマチコさんのコメントも載っている。
「就職しないで生きるには21」の次回作は、
夏葉社の島田潤一郎さんだそうな。楽しみ。


「就職しないで生きるには21通信」を、本の後ろに挟み直して、
本文へ復帰する。中島岳志の登場。多聞さんとインドとの深い関わりを読んできたぼくには、
中村屋のボース」の原稿を持って中島岳志が訪ねてくる、というシーンは、
あまりにもかっちょよすぎて映画のシーンのようにも思えた。


乗り換えのときに、本を鞄にしまわないときがある。
その本を面白く読めているということ。今日は、本を小脇に抱えながら、
多聞さんと一緒に歩いているような気さえする。昨日、
ご本人の語り口に接していることも手伝っている。


本づくりのあれこれ、書店員へのまなざし、そして竹内敏晴。
リズミカルにぼくの胸を打ち続ける文章に思わず込み上げてくるものがあり、
本を閉じる。暑いくらいの陽射しの中を歩きながら、
「いい本を読んでいるなぁ」とじんわりにんまり。


改めて、この本を激賞していたミシマ社三島邦弘さんのツイートを、
たまたま読んだことに感謝する。三島さん、ありがとう。
ツイッター、ありがとう。


気になる新刊。
昭和40年男 2014年 06月号 [雑誌]』(クレタパブリッシング)


帰りの電車で、再び多聞さんの話に耳を傾ける。
自分のことを振りかえらずにはいられないことばが、連発。
編集者か、単なるサラリーマンか。タラ・ブックス。
恵文社堀部篤史さんも!くすみ書房、「ここで一緒にコーヒーを飲みたい」、
子どもの誕生と震災、ミシマ社、『計画と無計画のあいだ』、
「一冊の本にかかわる人たちが、歩いて会えるような距離」、
そして、あとがき。


あとがきの途中で駅に着いた。続きをすぐに読みたかったが、
読むに適した場所が見当たらず、とりあえずセブンイレブンでピザマン買って、
歩き出した。食べながら、足は自然と文化会館前のベンチへ向かっていた。
座って、本を開いて、読み終えた。


気持ちのいい夕方。鳥の鳴き声がする。歩いていく人が見える。
とてもとても、いい気分。これは、「僕にとって」、
すばらしく大切な一冊になったなぁ、と思う。
とても嬉しい気持ち。


読了。
矢萩多聞『偶然の装丁家 (就職しないで生きるには)』(晶文社

I am a designer. の I の部分ではなく、am の部分にこそ、デザインのきらめきが宿っている。そこに一冊の本があり、ページをめくる読者がいて、はじめて本のいのちが燃える。すべてを伝える必要はない。何かの拍子にバチッと飛ぶ火花があり、何十分の一かの体温が伝わる。そんな風に本をつくりたい。(p.184)

帰宅して、『インド・まるごと多聞典』*2をぱらぱらしてみる。
『偶然の装丁家』でも使われていた多聞さんの絵が、たくさん載っている。
妻や娘が帰ってくるまでのあいだ、もう少し読む。
コーヒーを淹れて、飲んだ。