あの日の記憶、いつかのホッパー

アメリカの61の風景


朝、レジを立ち上げるときや、
ツイートでそれっぽい話題を目にするときに、
今日は、3月11日だな、と思ったが、
例の時刻のときはいつの間にか過ぎていた。


家に帰ったら、ローソクをともして電気を消して、
あの夜を思い出そう。お祈りもささげよう。
そんなことを思ったりした。


けれども今、エアコンをつけて、パソコンで、
これを書いている。ローソクはどこにあるか、
わからない。


車中のとも。
片岡義男ブックストアで待ちあわせ (新潮文庫)』(新潮社)


エドワード・ホッパーのことが出てきた。
ぼくも、ホッパーの絵は、とても好きだ。
けれども、画集は持っていない。
持っていても、ときどき開く自信が無い。
絵とのつきあいかたを、ぼくはまだ知らない。


ぼくが今、ホッパーと触れ合う機会は、
本の表紙に使われている絵を見るときぐらいだ。
けれど、それはとてもすてきな瞬間で、どきっとする。
廊下で好きな女の子とすれ違うときみたいな感じがする。


アメリカを車で旅してみたいな、と思うときが、
ごくたまにある。たとえば、片岡義男のこの本を読んでいるときにも、
何度か頭をよぎった。そんなときに同時に思い出すのは、長田弘の、
アメリカの61の風景』だ。*1これもホッパーの絵が表紙。