喧嘩もできない

昭和のエートス (文春文庫)


今日は、遅番。
食器を洗ったりしてから出勤。
こないだ買った内田樹の文庫を読む。


車中のとも。
内田樹昭和のエートス (文春文庫)』(文藝春秋

他者の欲望を模倣するのではなく、自分自身の中から浮かび上がってくる、「自前の欲望」の声に耳を傾けることのできる人は、それだけですでに豊かである。(p.44)


「具体的で有限」な欲望と対峙していれば、
貧乏に苦しむことはないという。それ、いいじゃないですか。
なのに内田センセは、「日本社会」が経済成長を優先するために、
上記のような能力開発に力を注がないという状況からして、
「貧乏くらい我慢するしかあるまい」とおっしゃる。


「行政もメディアも真剣にはかかわらない」のは仕方がないが、
できれば内田センセには、この本の読者にだけはこっそりと、
「自前の欲望」の声を聴くための心構えを教えていただきたかった。


「喧嘩の効用」という文章で、最近の子どもたちが喧嘩をしなくなった、
ということは、コミュニケーション自体が成立していないということじゃないの、
と指摘している。自分にとっての「自然」を理解できない他者、共感してくれない他者は、
「あたかも存在していないかのように扱われる」という。


このことは、実感としてわかる気がした。
そういう子どもに出会ったことがある、というのではない。
私自身が、その「子ども」なんじゃないか、という心当たりだ。
自分の好き嫌いや価値観を他人に理解してもらいたい、という
積極的な気持ちがあまり生じない。「その代わり、俺のこともほっといて」
という、まさにコミュニケーション忌避の状態。ああ。


ああ。
とか言ってみたけど、これについては、
それほど「改善しなけりゃならん!」という気持ちにもなってない。
今のところ。薄ら寒い気持ちはあるが。


そのくせ、こうしてせっせとブログを更新しているあたりが、
いやらしいじゃないですか。あなた、これ、コミュニケーション、
欲しているんでしょ?というか、自分の価値観と同じひと、
説得とかぬきに、すでに了解もらえるヒトだけを、
相手にしていたいんでしょ?


「やめてよ、喧嘩は、苦手なんだよ」


「日本人の社会と心理を知るための古典二〇冊」というのも、
興味深かった。竜馬がゆく、とかね。