危機散髪
店を移った先でも、以前に担当してくれた人に、
再びめぐりあう、ということがある。
版元営業さんで、私のいじけたメンタルを、
ポンポンと励ましてくださる方がいた。
その方は、私の髪が無残に伸びすぎてくると、
ニヤリと笑いながら「そろそろ切った方がいいんじゃないですか」
と散髪を促してくれるのがいつしか「役割」とでも言えるくらい、
行く先々の店で、というのは言い過ぎか、勤務したいくつかの店で、
私の危険信号を拾っては、声をかけてくださった。そうして、
次にお会いしたときに「髪を切ったら、なんかすっきりしました」
「そうですね、もう、表情がぜんぜん違いますよ」となって、
いつの間にか、私の精神的な危機は過ぎているのだった。
この5月も、よくは覚えていないが、まず間違いなく、
私の髪は伸びまくっていた。そして、気休めかもしれないが、
散髪に行くことでおそらく、一時的にせよ、その「危機」はまた、
回避されるはずだったのだ。けれども、その方は当時、担当ではなく、
「あぁ、またTさんにからかわれてしまうなぁ」と思いながら、
とうとう散髪しないまま、職場を去ることになった。そして今日まで、
ずっとずっと私の髪は伸びっぱなしで、「ザ・無職」といった、
悲惨な様相をていしていた。なにかよく分からない危機の中を、
ずっとずっと息をひそめてさまよっていたようだった。
七五三の前に髪を整えておこう、と妻に促されて、
ややしぶしぶながら下の子が美容院に行くことになり、
どっちが付き添いか、私も半年以上ぶりに美容院に行って髪を切った。
Tさんに「表情が明るくなりましたね」と言ってもらいたいが、
私にはもう、お会いするために向かう売り場が無い。