ボリクコーヒーで片岡義男

万年筆インク紙


いい天気。
ちょっと大物の洗濯物を干したので、
レギュラーの衣服の一部は泣く泣く室内に干す。
掃除機をかけたり、たまった洗い物を片づけたり。
食事とも呼べないような食べ物を口にして、
2日分だけの記事をあげて外出。


iPod 、外出時はシャッフルで。
気まぐれに、いろんな曲を耳に放り込む。


ボリクコーヒーで、無事、音盤大學のチラシを入手。
大学時代の先輩と先生とに、ハガキを書く。


コーヒーのとも。
片岡義男万年筆インク紙』(晶文社


始めから読み直してる。冒頭、岩国のことが出てくる。
日本語の外へ*1を思い出す。


三人組のおばちゃんの、主にひとりによって繰り出される大きめの声のおしゃべりに必死に耳をふさぎながら、
本を読み進める。ちょっときつい。やがておばちゃんたちは、「もうこんな時間や!」とあわただしく出ていった。
ぼくもそろそろ時間だが、せっかくの静寂にもう少し読み進める。


鉛筆を削ること、削り滓に対する視線、立ち止まり感が、しみる。

鉛筆の、削り滓、と呼ばれている。なにの、滓なのか。鉛筆をかたちづくっている木材の削り滓なのだ。経過した時間のなかで何回も削り、削られた断片はガラス容器の深さのなかばに達した。自分は、滓になってはいないのか。削って出した芯で、なにを書いたのか。書いた文字は、そしてそのもとになった思考は、この削り滓に充分に匹敵するものなのか。(p.15)


ノンブルの書体もかっこいい。


帰りに郵便局に寄って、2枚のハガキを出す。
本当は、切手も選びたかったのだが、カウンターでお金だけ払う。
52円が2枚で、104円。安い。このハガキを書いている間、それぞれ、
相手について思う時間の幸福さを思えば、なんと安い幸福だろうか。


ボリクコーヒーで片岡義男を読む、
という今日のミッションもクリアした。


ぼくは、すでにしあわせであった。
次になにをすべきか、ちょっと思いつかない。


片岡義男の本は、昨日の続きではなく、
今日の読み直しの続きから読むことにしよう。


それが、このしあわせを明日へつなげるための、
手がかりになる、なっておくれ、と怠惰な願い。