どんどん読んだりゆっくり読んだり

若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義


送品表をチェック。昨日今日に始まったことではないが、
「11月号」という表記にギョッとする。いくらなんでも、
という気がする。昨日今日に始まったことではないのだが。


車中のとも。
若松英輔若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義』(ナナロク社)

振り返ってみれば、履歴書を書き進めているうちに私たちは、どの項目にも書き得ない出来事こそが人生を決定してきたことに気が付いていたはずだ。(p.106)


ゆっくりと読まなくっちゃなぁ、と、
頭のどこか遠くでうっすらと唱えてはみるけれど、
ひとつのエッセイが終わればすぐ目に飛び込む次のエッセイの始まりに、
ついつい手を引かれて読み進んでしまう。


「美味しくてごくごく読んでしまう者から本を奪うべからず」などと思って、
ふと、ゆうべの乳児の様子を思い出した。風呂から出て、服を着せられて、
わたしの作ったミルクをコップで飲んでいる。上の子と違って、
ついに哺乳瓶との和解をなしえなかった彼女がこうして、
コップを使ってでも、風呂後の自力給乳をするのを見て、
なんだかひとつ峠を越えたような安心感がわいてきた。


飲みたい時は、どんどん飲んだらいいのだ。
読みたい時は、どんどん読んだらいいのだ。


ゆっくり飲んだり、ゆっくり読んだりできるのは、
恵まれたシチュエーションに限られるのかもしれない。
そういうときに、ゆっくり飲んで、ゆっくり読んだらいいのだ。


雑誌の抜き取りをしながら、
だんだんと、明日の入荷量が恐ろしく感じてくる。
それでも聞こえないふりをして店を後にした。


読了。
若松英輔若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義』(ナナロク社)

引用は、人生の裏打ちがあるとき、高貴なる沈黙の創造になる。(p.147)


今回は足早に読み終えてしまったけれど、
いつかまた、ゆっくり読みなおしたい、読みなおせる、
本当に、北村さんじゃないけど、今年はこの一冊、というべき本だ。
若松センセイに、ありがとうございます、という気持ち。


妻からの返信はないが、おそらくまだ働いているのだろう。
いったん家に帰って鞄を置いて、暗くなった道を保育園へ向かう。
と、向こうから声がする。妻と娘だ。下の子がヘルメットをかぶっているさまを、
初めて見た。暗い中で突然父親が現れて、目を大きくして驚いた表情を見せている。


   二人の娘をなだめすかして、飯を食わせ、風呂に入れ、
   寝かしつける。妻か自分か、どちらかが道連れに眠ってしまう。
   今日は、妻が連れて行かれた。


本棚やら、机の周りに積んである本の山やらを漁って、
明日の本を探す。『わたしの小さな古本屋』のカバーをはがしてふと、
そういえば、こないだ買った『文庫本を狙え!』はどこやった?
と探せば、向こうの方に、表紙を下にして転がっている。


お洗濯のとも。
坪内祐三文庫本を狙え! (ちくま文庫)』(筑摩書房


ひとつめの「記事」、96・8・29とある。
なるほど、20年前か。裏表紙の「解説」にも、
「20年たつことで絶好の古本案内としても読むことができる」とある。
明日の本は、決まりだ。