忘却の秘義

若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義


去年だったか、前にも思ったけど、
2月2度目の日曜以外の休配は、
ありがたいなぁ、1度目の休配を、
みすみす無駄に過ごしてしまっても、
その反省を生かしてすぐに充実した休配ライフを。


というわけで、まずは充電したiPod で、
もう一度、スピッツの「テレビ」を聴きながら、
配送表を睨まずにすむ余裕の通勤電車を楽しもう。
そうして、先輩から回してもらったプルーフの続きを読む。
読み終える。ゴ、ゴ、ゴ、ゴ、ゴという音が背後にたちのぼる。
この興奮を、誰に伝えればよいか、どう伝えればよいかわからず、
とにかく、自分の皮膚の内側の圧を高める。必死に、電車を乗り換える。


こころを落ち着けて、今度は、『悲しみの秘義』を取り出す。
昨日、履歴書、ということばに、「うわ、またこれつながってる…!」ってビックリしたくせに、
それがどこにつながってるか分からなくなっていたのだが、今、読みだそうとした次のエッセイのタイトルが、
「書けない履歴書」で、これかー!ってなった。で、昨日見つけた履歴書って、どこで見つけたんだっけ?


せっかくの休配ライフであったのだが、早くもぶり返した風邪(?)にやられ、
みるみる持ち時間は蒸発していく。そういえば、こないだ買ったボールペンもなくなっている。
けっこう高かったのに!


帰る前に、TLで気になった『家をせおって歩く』をチェック。
すると、あまりの面白さに買って帰らずにはいられなくなる。
ついでに、買おうと思っていた文庫もまとめてレジへ持っていく。


購入。
私の本棚 (新潮文庫)』(新潮社)
杉江由次『サッカーデイズ (小学館文庫)』(小学館
村上慧家をせおって歩く (月刊たくさんのふしぎ2016年3月号)』(福音館書店


読了。
若松英輔若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義』(ナナロク社)

読者とは、書き手から押し付けられた言葉を受け止める存在ではない。書き手すら感じ得なかった真意を個々の言葉に、また物語の深層に発見していく存在である。こうした固有の役割が、読み手に託されていることを私たちは、書物を開くたびに、何度となく想い返してよい。(p.140)


私を放っておいて欲しいのに、電車は近鉄奈良駅に到着した。
人生は、ままならない。書物に打ちのめされて放心することすら許されない。
これからこの本を読む方に強くおすすめする。あとがきを読むときには、
ひとり静かになれる場所で、ゆっくり読まれるがよい。
いくらでも、放心できるように。


改札を出て、文房具屋に寄って、こないだ買ったのと同じ、
4色ボールペンを買う。こういうことをするとなくしたのが出てきたりするのだが、
出てこれるものなら出てきてほしい。ふたつとも使うから。ドラッグストアで、
柔らかいポケットティッシュも買った。鼻をかむのに少しでも抵抗を減らして、
再び中耳炎になるのをふせがねばならない。もう一度40℃とか、無理だ。


読了ツイートに対して、若松英輔さんから、お礼ツイートが飛んできた。
もったいないことだ。僕には、うちひしがれるような悲しみの経験はまだないのだが、
今後、訪れるであろう悲しみに対して、一度はうちのめされるにせよ早い段階で、
親しみにも似た気持ちを持てるのではないか、という甘い期待が生じている。
そうして、「読む」ということについて温かい励ましをたくさんいただいた。
『悲しみの秘義』、繰り返し読み、また、繰り返し忘れたい本であった。