人生の特別な一冊

人生の特別な一瞬


いつもの電車にすべりこむ。
送品表を軽くチェックして、
『悲しみの秘儀』を取り出す。
昨日読んだところを、軽く読みなおす。
そして、初めて読むところへそっと目を進める。


車中のとも。
若松英輔若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義』(ナナロク社)


「彼方の世界へ届く歌」「勇気とは何か」「原民喜の小さな手紙」と、
それぞれのエッセイの短さや、語り口のさりげなさに助けられて読み進めてきたけれど、
そこでいったん、手を止める。息を吐く。なんとなく感じている通りにこの本は、
危険な本なのではないだろうか。例えば、「劇薬」のような。


服用上の注意は、誰からも渡されていない。
自らそれを見出だして、読むしかない。


おそるおそる、「師について」を読みだす。

世にいう師とは、どう生きるかを教えてくれる存在であるかもしれないが、私の師は違った。彼が教えてくれたのは、生きるとは何かということだった。人生の道をどう歩くのかではなく、歩くとはどういう営みであるかを教えてくれた。(p.52)


ぼくにとって本は、読了した途端に何がしかの変質を避けられない「生き物」のような存在で、
ある意味、読了は「死」にあたるのかもしれない。というようなことを思った。


だから、『悲しみの秘義』がどんなに胸を打つ文章を次々と繰り出してきても、
どんどん飲み込むわけにはいかない。そんなに早く殺してはならない。


こちらも、殺されてしまう。


今日は、急遽、1年ぶりのブクブク交換@hm印に参加することになり、
早目の退勤を心がけながら働いた。とはいえ、なかなか思うようにはいかず、
想定していた時間より遅くなってから、路上へと駆けだした。ところがどうでしょう、
毎朝鍛えたこの小走り、乗換えのたびに「乗換案内」で表示されるより早めの電車に間に合って、
みるみる到着予定時刻が早まっていく。忍者のようにそっと近づいて、と思いながら、
ふと、iPodスピッツの「テレビ」を聞いてみたりするが、
すぐに電池が切れてしまった。電車は芦屋を通過した。


車中のとも。
若松英輔若松英輔エッセイ集 悲しみの秘義』(ナナロク社)


小走った勢いもあって、つるつると読み進めてしまったら、
案の定、バチが当たった。毒にあたった。


「できれば、声に出して、ゆっくり読んで頂きたい」という言葉に、
叱られた気がした。「一度でなく二度、読んで頂きたい」と続いたので、
もう、生きた心地がしなかった。声には出せなかったが、二度読んだ。

たとえ『苦海浄土』を読まないとしても私たちは、桜が咲く春に、花びら一枚を拾い、きよ子とその家族を想うことは、できるのではないだろうか。(p.81)


うなだれて、電車を降りた。この春には、桜の花びらを拾おう。
そう思って改札を出て、地図を見て、自分が降りるべき駅は、
三ノ宮ではなかったと気づいた。1003*1に行くなら、元町だ。
再び改札を入ってホームに上がる。本を開く間もなく、元町に着く。


中華街と呼ばれている通りだろうか、自分の分の食べ物を少しだけ買って、
もう始まっているらしい会合へと向かう。二度目だったが、視界の端にセブンをとらえて、
迷うことなく、階段へとつづく入り口へとたどり着いた。急な階段を上り、
扉を開けると、知らない人がたくさん集っていた。楽しそうだった。


一年前の交換会*2では、hmさん以外、初対面だった。
今夜は、その会で知り合った「ちおさん」が1003店主として、迎えてくれた。
去年より、ひとり味方が増えたおかげで、初めからリラックスできた。
ぼくが来る前にその日いちどめの交換は済んでいたせいか、
なんというか、その空間における楽しさへの勢いは、
加速が始まっているので心配は要らないのだった。


すぐにトリイ氏も顔を出した。3人目の味方(知り合いって意味ね)だ。
ビールを飲みだす。知らない人と思っていた方が、まさかのもじゃハウスさんと知り、
興奮が高まる。そうであったか。照明を落とした1003の店内でときおり背表紙を盗み見ながら、
あちらこちら、ことばを放ち、ことばを拾う。またひとり、またひとりと、
参加者が増えていく。1003のオーナーさんもいらした。(ナイスガイ!)
去年の交換会で会ったTさんも登場した。(1年ぶり!)


夜も更けて酒も進み、hmさんの酔いが回ってきてから、
本の紹介に使う付箋が回されて、紹介文を各自したためる。


お題は、「誰かにプレゼントしたい本」でした。
「本を贈ること」について、これまで何度も七転八倒してきた僕としては、
容易に取り掛かることのできないお題であって、退勤後、
勤め先の棚を早足で見て回りながらも、ぶつぶつと、
脳内で小理屈が止まらない状態だったのだが、
皆さんの紹介を聞いていると、いろいろと、
「本を贈ること」についての考えが開かれてゆき、
思わずノートを開いてメモを取りそうになってしまった。
(実際取ってみたのだが、あまり意味をなさないメモに終わった)


お題自体をぜんぜん意識してないで本を持ってきてしまった人、
「自分がもらって嬉しかった本」を紹介したひと、
自分の主張を込めて贈る人(「無力さを知れ!」)、
誰かに贈りたいけど、今日、交換はしたくない人、
未読の本を2冊買って、一緒に読み始めましょうと誘う人。


この人たちが、実際にその本を誰かに贈ることになったとして、
それはいったい、どんな相手で、どういうシチュエーションなんだろう、
と思った。そういうのを考えても面白いな、と思ったけれど、
少しずつビールにふやけていく脳では、それ以上、
想像力を育てることはできなかった。


差し出したのは、込山富秀『「青春18きっぷ」ポスター紀行』(講談社)、
いただいたのは、長田弘人生の特別な一瞬』(晶文社)。


じゃんけんで負けたのにも関わらず、何がどうなっていただけることになったのか。
この本の紹介も、すごかった。紹介というか、お話された方と、この本との関係が、
すばらしすぎた。まさに「人生の特別な一冊」だった。10年ほど前に初めて読んだそうだが、
今なお、現役で彼女を励ましているようであった。通勤電車に持ち込むこともあると聞いて、
唸った。だって、A5版、ハードカバーですよ?読み直して新しい発見もあるようで、
そういうのもまた、羨ましかった。ぼくも、長田弘のエッセイは大好きだけど、
彼の詩を読む機会はほとんどなかった。彼女は、「散文詩」として、
正面からこの本を飲みこんでいた。彼女もまた、
「誰かに贈りたい」というよりも、
1番好きな本を持ってきたのだ。


いや、1番好きな本を、贈りたいと思ったのかもしれない。


そこに、不安はないのかしら。
「相手が、喜ばなかったらどうしよう」とか、
そういう不安は、ないのかしら。


不安があっても、贈りたいと思ったのかもしれない。


強いなー。


勝手な想像ですけどね。


もじゃさんとお会いできたことを記念して、
『House"n"Landscape 第二号』(もじゃハウスプロダクツ*3
『House"n"Landscape 第三号』(もじゃハウスプロダクツ)
を購入する。


『ブルーズマガジン』(感電社*4)5号と、神戸書店マップ*5もいただく。


後ろ髪を引き戸にはさんだまま、元町の路上へ駆け出す。
小走り(強)で、階段を駆け上がり、諦めたはずの電車に駆け込んだ。
さようなら、さようなら。美味しい珈琲をはさみつつもビールを摂取した身では、
「劇薬」を飲んだら命取りになるので、ひたすらガラクタケータイでことばを放りだす。


前回のときも思ったけど、本を紹介するのを聞くのって、
その場に身を置いてみると、そうとう面白くて熱い体験だなぁ、と感じられる。
今夜の集いはhmさんと1003とのコラボの結晶で、少しずつの重なりと新しい出会いとが、
得難い「本のイベント」を実現させてくれたのではないかしらん。


まぁ、若松センセイによれば、これもすべてぼくの内側に起こった、
ぼくにとっての「事件」に過ぎないのだけれど、今夜あらためて、
「自分に起こった小さな『事件』がほかの人にも起こると信じている」人のたたずまいが、
美しいことを教わったぼくはもう、ぼくの「事件」を誰かにプレゼントすることを恐れない。


いや、恐れない人でありたい。
恐れずプレゼントできる日が来るといいな。


まぁ、ちょっと覚悟はしておく。