読む、立ち止まる、また読む

車中のとも。(行き)
長田弘人生の特別な一瞬』(晶文社


ふたつ読んだ。本を閉じた。『悲しみの秘義』*1と、同じ。
ひとつひとつを、からだにしみわたらせていきたい感じ。
体調が悪いことも作用しているかもしれない。
海を、見に行ったことは、ない。


スピッツにも、「海を見に行こう」って曲がある。
ここんとこ、スピッツに言及してばかりだね。


先輩に、わりときつい口調で、
「しっかり休まなきゃだめだよ!」と、言われた。
こういう先輩と一緒に働けるってのは、ほんとうに、
ありがたいことだ。先輩を見送ったあと、
少しばかり残業して、家路につく。


体はしんどいが、気持ちは、そうでもない。
気持ちがそうでもないのは、ゆっくりした本を読んでいるからだろうか。


車中のとも。(帰り)
長田弘人生の特別な一瞬』(晶文社


山に、登りたいなぁ。できれば、高校生の頃に戻って、父親とまた登りたい。


海を見にいったことがないのは、どちらかといえば「山派」だからだろうか。
いや、「海派」の人はむしろ、見に行くより泳ぎに行くのではないか。
あるいは、「釣り派」や「サーファー」「犬の散歩派」などもいる。
「海派」「山派」という分類は、全く、意味がない。


親父と、山に登りたい、と思った、そのことについてだ。
そういうことを心に生じさせてくれる本は、好もしい。


これをくれた人が初めて読んだときのことを、
想像している。最初っから、ぐぉぉーっ!って、
興奮気味に「良い!良い!」って読み進んでいったのだろうか。
それともじわじわと、「この本、なんか好きだな」ってしみてきたのだろうか。
その人もまた、別の人に教わって読んだそうだ。


僕が今、思っているように、紹介してくれた人がどのように読んだのか、
想像しながら読み進めていったのだろうか。それとも一気に読み干した後、
紹介者のことに思い至ったのだろうか。