いつかの共振を求めるの?

自分の仕事をつくる (ちくま文庫)


休配日。すごく時間が豊富、のつもりだったが、
あっという間に終業時間、で、ちょい残業。
ちょい、で済んだのが、休配の恩恵か。


むー。


読了。
西村佳哲自分の仕事をつくる (ちくま文庫)』(筑摩書房

本を読み進めながら感じるものがあったとして、それは一人ひとりの内側の「なにか」が反応して浮き上がってくる動き、あるいは共振だ。読み手にとって読書の効用とは、自分の中にある「なにか」に気づくこと、それと出会うことにあると思う。(p.315)


仕事の本で、もちろん仕事のことについて、
いろいろと考えさせられたりしたのだけれど、
僕が受け取ったこの本の魅力は、上に引用した「共振」の回数が、
やたらめったら多かった、ということだ。それは仕事のことに限らず、
たとえばこういう「読書について」だったりもする。


なんというか、そのコラージュ具合が、
他の本を読んでいるときと違う時間感覚をくれるみたい。
西村佳哲の、他の本を読みたいなー、と思う。
例によって、まだ読んだことがないやつでなくて、
前に読んで棚にあるやつを再読したい、ってことなんだけど。


まだまだ眠りたくなくて、こないだぱらぱらし直したこいつを。


読了。(再読)
ミシマ社編『仕事のお守り』(ミシマ社)



眠れずに、もう一冊。だらだらと。
ミシマ社編『THE BOOKS 365人の本屋さんがどうしても届けたい「この一冊」』(ミシマ社)


なんか、あれだな、初読の本を手にするタイミングが、
年々、つかみにくくなっているような気がする。
映画とかは、学生時代くらいから既にそんな感じで、
ツタヤとかでもたいていは、観たことある映画をもう一度、
みたいな選び方をしてしまって、でも全然映画好きとかでないから、
観たことある映画なんて三十本くらいだから僕が生涯で観れる映画とかって、
映画好きの人の1ヶ月分よりも少ないだろうなって、でもまぁそんな比較、
まったくまったくまったく無意味だな、とキーボード叩きながら思って、
この文章に句点を打つタイミングを計りながら、改行、改行、改行。