塞翁が馬、の耳に念仏、とりのさえずり

かかわり方のまなび方: ワークショップとファシリテーションの現場から (ちくま文庫)


北側の空は、まだ青い。
吉本ばななの、初期の小説の、
橋のところで懐かしい人に会う話を思い出す。


車中のとも。
西村佳哲かかわり方のまなび方: ワークショップとファシリテーションの現場から (ちくま文庫)』(筑摩書房


伊勢達郎氏のことばに「うーむ」と唸った直後に、
松木正氏の「そうやねえ」という受け方が続く。
ひとりの人の「価値観」に陥ることができない。


べてるの家大村はま、と、
それだけで一冊になる対象がぶわっと現れて、
去る。車窓からの風景のような読感。


西村さんの、このスタイル、いいなあ。
面白いなぁ。単行本は2011年2月刊行。
2011年か2012年には読んだのではなかったか。
気になる人やキーワードがたくさんあったけど、
その後、きちんと手に取ってしげしげと眺めたものはなかった。
一度、西村佳哲さんのトークに足を運んだのが精一杯の。


今回の再読で、気になった箇所については、
もう少し、手を伸ばせたらなぁ、と思う。
あれやこれやのヒントを集めてもらって、
すべて車窓に流してしまったのでは、
無念すぎる。自ら、考えねば。

ファシリテーションとは人を導くことではないはずだ。行き先を知っているのは本人なのだから。(p.84)


上記は、西村さんの地の文章。部分引用すると、
誰のことばか分からなくなってしまいがちな、
この西村スタイルのテキスタイル書物よ。
こちらは、単行本のときも気になった一文、
岸英光氏のことば。


「大事なのは『何があってもこの子は育つし、自分は育てるんだ』という立場のとり方、引き受け方です」(p.92)


店へと歩きながら、自分の担当している棚に、
『かかわり方のまなび方』の単行本*1を並べることを考える。
文庫化したタイミングで単行本をひいてしまうと、
たどり着けなくなるお客さんも多いのではないか。
(とかいって、この単行本、もともと在庫してなかった…)


けれども、文庫が増補版として刊行されたのならば、
棚に並べるべきは、文庫版なのではないか、ということに、
思い至る。判型に関わらず。・・・とりよ、とりさんよ。


購入。ベニヤ書店。
神田憲行「謎」の進学校 麻布の教え (集英社新書)』(集英社