平成二十三年の逗子の記憶

キャパの十字架


夜明け前に出かける二日目。
家を出て少しすると、降ってきた。
駆け足で駅を目指す。勤務地の駅でも、
雨はまだ降っていて、フードに駆け足で突破。


昨日とはうってかわって、山盛りの雑誌。
これが初日だったら、と思うと、ぞっとする。
二日目だから、多少は立ち向かえる気持ちがある。
なんて、そんなおおげさなものでもないけれど。


朝が早い分、帰りも少し早い。
本を読みながら、帰る。


車中のとも。
原武史沿線風景 (講談社文庫)』(講談社


神武寺の話が出てきた。
逗子を去って一年余り、懐かしい、
と思うには、まだ記憶は新しい。


それでも、現在住んでいるところが出てくるのと、
かつてそこに住んでいた土地のことを読むのでは、
なんというか、響き方が違ってくる。一年程度でも、
多少のノスタルジーはたちのぼるのだ。


そして、そこに自分の知っている風景が、
失われたことが書いてあったならば、なおさら。
失われることを知らずに語っている人の声が聞えれば、
なおさら。

かつて、逗子の駅前で天皇を迎えた人々も、きっと同じラーメンを食べたのだろう。その光景がもう永遠に見られないとすれば、昨今のラーメンブームに全く動じないときわ軒の味はまことに貴重である。なぜならその味にこそ、昭和の逗子の記憶が最も鮮やかに刻まれているかもしれないからだ。(p.47-48)


気になる新刊。
沢木耕太郎キャパの十字架』(文藝春秋


NHKでやってたキャパの番組が面白かったらしい。