記憶の路上

ときには積ん読の日々


昨日、早川義夫『心が見えてくるまで』*1を読み終えて、
さて次に何を読もうかと思ったとき、すっと、
こいつに手が伸びた。音楽つながり。


車中のとも。
吉上恭太『ときには積ん読の日々』(トマソン社)


3つめの文章に、東日本大震災の日のことが書いてある。
吉上さん自身は、ひどい被害にあっていない。
そういう吉上さんが綴る地震の日の描写は、
けれどとても「正直」で、ひとりの市民が、
どのように過ごしたか、何を見て、何を感じたか、
すっと報告されている。僕の記憶も、すっとよみがえりそうだ。


その日、地震の後、吉上さんはあおい書店で本を一冊買っている。
どこのお店で、何時ころなのだろう。よく営業していたなぁ。
僕が住んでいた町は夜中まで停電していた。僕は暗い店の中で、
賃貸情報の貼り替えなどをだらだらと夕方までやっていた。


「辞書を引くこと」という文章も、とてもよかった。
北村太郎や、吉上さんのお母さんのことが出てくる。

母は辞書を引くのが好きだったように思える。答えは、必ず辞書の中にある、と信じているようだった。だから、あきらめずに辞書に問いかけ続けたのだろう。(p.52)


「病院の待合室で読んだ本」に長田弘の『詩は友人を数える方法』*2が出てきた。
長田弘がひとりで車を運転して、アメリカ大陸を横断する旅を綴ったエッセイ集」(p.65)
とあるが、みすず書房の『アメリカの61の風景』*3とはどういう関係なのかしら。


往来堂書店、古書信天翁、古書ほうろう、出てきた。
一箱古本市や、あのあたりの本屋さん巡りを思い出す。
吉上さん、一箱助っ人しているのか。お会いしたこと、
あるんだろうか。ほうろうでのライブ、
いつか行けるだろうか。


ケルアックの『オン・ザ・ロード』は、
河出書房新社の世界文学全集で読みかけて頓挫したままだ。