隣りの芝生はセシウム

働けECD わたしの育児混沌記


勉強会に出席するために、大阪へ。
地下鉄のホームには、人が溢れている。
こういう景色は久しぶりだ。


今、ふつうに通勤する電車は、
それほど混雑はひどくない。
座れなくとも、本は読める。


こういった生活がいつまで続けられるか、
わからない。わからないけれど、今の仕事、
今の生活に、ケンメイに取り組むことしかできぬ。


読了。
植本一子『働けECD わたしの育児混沌記』(ミュージックマガジン

こういう時、いつも誰かが側にいてくれる実家に帰りたい、と強く思うけど、母親になり大人になった私が帰れる場所なんてもうどこにも無くて、私が本当に帰りたいと思っている場所は、もう絶対に手の届かないところにある。(p.96)


先日読み終えたECDの奥さんのブログの書籍化。
だんなの本を読み終えたばかりなので、その日常が、
とても身近に読めて面白い。貸してくれた方の、
推薦通り、とてもナイスな連続読みとなりました。


どちらかの本が気になっているあなた!
まず、だんなの本を読んでから、奥さんの本を読もう!
でも、もしかしたらそれは、男性読者の楽しみ方かもね。
女性読者は、奥さんの本を読めば、それでいいのかもね。


平氏の本*1も、奥さんのインタビューしか読まない不届き者が
続出してたからね、俺の周りでは。女なんて。男なんて。
あまり男女のことを言い分けたりしない性分なのだが、
ふと、魔が差したので言ってみた。


さて、奥さんの本だが、厳しい家計を見つめるべく、
毎日の支出報告と日記をつづったブログの文章が、
たいそう、おもしろおかしく、ぐんぐんと読めた。
が、夫の黙々とした家事手伝いぶりへの感謝を読むにつれ、
わが身に対する妻の視線を思って震え上がる。


妻は、私より先にこの本をぱらぱら読んでいて、
ECDはすごい働いている」としきりに言っていた。
働いている、というのは、どうも家事のことを言っているらしい。
うーん。ECDのとっつぁんに負けないよう、とりあえず皿を洗おう。


そして日記は、2011年3月11日へ。
こないだ読んだECDの本では登場しなかった震災が、
出てきた。広島へ避難したり、また東京へ戻ってきたり、
二人のお子さんを抱えてどうしたらいいかわからない、
という震災直後の不安が、生々しい。


あの不安。この先どうなるか分からない、ということもそうだが、
今現在、その窓の向こうに降り注ぐ陽光とともに放射線が、
さんさんと降り注いでいるんじゃないかと思って洗濯物も干せず、
いたずらに晴れた一日を無為に過ごした去年の春の日を思い出す。


子どもが産まれ、夏が来て秋が来て冬が来て、
奈良へ移って。私の中で、あの不安は、
どこかへ行ってしまったのだろうか。

3月11日の地震の時、玄関に飾ってある産まれたばかりの娘を大きく伸ばした写真が額ごと落ちてガラスが割れた。その額の中に一緒に挿んで飾っていた、赤ちゃんの石田さんを抱っこしたお母さんの若いときの唯一の白黒写真がある。地震で動転しながらも、玄関に落ちたその写真だけを掴んで娘と外に逃げた。お母さんが守ってくれるような気持ちと、もし地震でつぶされて私がわからなくなっても、この写真を握っていれば、石田さんは私と気づいてくれるだろうという気持ちの二つがあった。(p.191-192)


震災後を生きる、幼子を抱えた母が読むと元気が出るかもしれない一冊。
子育てに苦しんでいる奥さまを持つだんなさんは、次の休日は家事育児に奮戦し、
この本を読ませてあげましょう。奥さんが読み終えたら、こっそり自分も読んで、
ECDのかっちょよすぎる寡黙なパパ(レコード買いすぎ)に憧れましょう。
え?私?私は妻子を置いてならまちの古本屋に。。。


追記
途中、つげ義春の妻、藤原マキの『私の絵日記』*2が紹介されていた。
実家にあったような気もする。今度探してみよう。自分の身となぞらえて、
「自分がいつか参ってしまうのではないかと怖い」という話をして、
ECDに「まだまだ」と言われた箇所は、しびれた。
ここに関しては、やはり先にECDの本を読んでおきたい。
しびれ方が違うと思います。