不在者を想う力
大学の先輩が亡くなった。電車に乗ってお通夜へ行った。
知った顔に会えないまま、斎場から駅へと歩いて帰る途中、
ひとりの先輩から電話がかかってきた。
「まだ斎場にいるから、戻っておいでよ」
何人かの先輩の赤くなった目を見ながら、
間違いなく、あの人がいなくなってしまったのだ、
ということを、それでも心のずっと隅のほうで、
感じた。人が亡くなるということは、僕にとって、
すごく難しいことのように思える。
読了。
村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)』(講談社)
「死というのは極めて特殊なできごとです。僕はときどき人の生は、かなり大きな部分を他の誰かの死のもたらすエネルギーによって、あるいは欠損感と言ってもいいんですが、そういうものによって規定されているんじゃないかと感じることがあります」(p.97-98)
私が死ぬとき、(できるなら親よりは後に、と願うが)
その不在が誰かのエネルギーになるというのは、
どういうことなんだろうか。
今は亡き先輩の不在を、エネルギーにしたい。
するしかない。