雪、68年、新書

1968年 (毎日ムック―シリーズ20世紀の記憶)


雪が降ったな。


『東京人』の3月号を買った。
だいたい、次の号が出てから買うね、俺は。
きっと平積みされているあいだは、
確信がもてないんだな。
一ヶ月かけて、自問する。
欲しいの?なくてもいいの?


さて、渋谷のブックファースト
アゴラで芝居を見る前と後。今日は比較的ゆっくり見た。
4階のトイレに行ったついでに人文の企画棚に68年もの発見。
学生の時に、『思想としての60年代 (ちくま学芸文庫)』(ちくま文庫)を読んで以来、
なんとなく、ほんとになんとなく気になっている、1968年。
いま、bk1の人文コーナーでも、ちょっと特集されている。
LEFT ALONE―持続するニューレフトの「68年革命」』(明石書店)があった。
ずばり『1968 (知の攻略 思想読本)』(作品社)なんてのもある。二冊ともすが秀実*1だ。
その棚を見ていて気がついたのだが、すが秀実って、『JUNKの逆襲』(作品社)のヒト。
手にとったことはないが表紙が印象に残っていた一冊。ふうむ。
そうそう、もう一冊、『1968年 (毎日ムック―シリーズ20世紀の記憶)』(毎日新聞社)が面陳してあった。
これ、bk1だと、もう買えないのよね。本体価格2800円。うーむ。
勉強したいのは山々なのだが、学生時代に買った最初で最後の68年もの、
パリ68年5月―叛逆と祝祭の日々』(論創社)を読み終わってからにしろ。
と、言い聞かせ。


電車の中では『本屋でコーヒーブレーク』(遊友出版)を。
「面白本を探そう」という章、目次を見ていたときはピンとこなかったのだが、
読んでみるとけっこう面白い。なにがいいかって、新書を紹介しているところがいい。
たとえばしょっぱな「ひとり旅」の項で紹介されているのは、
「極み」のひとり旅 (光文社新書)』(光文社新書
ひとり旅は楽し (中公新書)』(中公新書
しかも今気がついたのだが、新書ナンバーも書いてあるではないか。


新書はたいてい、出版社ごとに発行年順に並んでいる。
そして背表紙には発行順に番号がふってある。
本屋で新書を探すとき、棚に新書目録があれば索引で著者名や書名を探して、
その「背番号」を特定してから棚を探すと早く見つかる。
その背番号がわからないと、目的の新書に辿り着くのはとても困難なのだ。
本屋でコーヒーブレーク』では、その新書の背番号を併記してくれている。
値段も書いてある。んー、とっても親切だ。この親切をありがたいと感じるヒトは、
しかしどれくらいいるんだろう。うーむ。感じたいなあ。
「極み」のひとり旅 (光文社新書)』を探しに行くか。光文社新書の170番だ。


この「面白本を探そう」という章は、本屋の棚づくりの考察になっている。
上で紹介した新書2冊は「ひとり旅」の本なのに旅の本のコーナーには、なかなかない。
新書ばかりでなく、関連書なのに並んでいない本たちはたくさんある。
そういう見逃されてしまいがちな本をテーマに呼び寄せて「こんなのもあるよ」という、
そういうエッセイの章ですな。まだ途中ですが、面白いです。


 ある大型店の分類では『匂いの記憶』が精神世界、『悪臭学』はサブカルチャーに納まっていた。ところが、伯母の通夜の帰りに偶然立ち寄った郊外型書店では、二冊並んで自然科学の棚に分類されていたのである。
 どちらが正しいというのではないが、大型店、中型店それぞれの書店の棚構成の感覚と仕入れの事情がよく現れていた。書店で本を探すのが、いかに難しいかわかる。

斎藤一郎『本屋でコーヒーブレーク』(遊友出版)p.171

*1:「すが」は糸へんに圭