回復する月曜日、読んだり話したり

きょうごめん行けないんだ


さて、週明け、月曜日である。
土曜は休配だったとはいえ、連休明けは、
やはりドキドキする。いない間に、
何かあったんじゃないか、とか、
何があってもいてもいなくても、
なのにね。


車中のとも。
木村俊介『インタビュー』(ミシマ社)

私の場合なら、「なにもかもがやりつくされているみたいに思える、人が部品のようにあつかわれている時代において、なにかをあらたにやろうとすること」を訊くというのが、いつのまにかテーマになっていた。気がついたらいつも訊ねているし、私自身の、このような世界に入りこんだことの動機なんかにも絡んでいることだった。そのような裏のテーマのようなものをいつも抱えているのならば、単発で雑誌の記事のためにもらったようなインタビューの仕事に関わる時でもなんでも、ほとんどの取材が、すべてひとつの大きなテーマを考えるうえでの「自前の素材」として目の前にあらわれてくる。(p.87)


こないだ立ち読みした、北野新太による藤井聡太へのインタビュー記事*1を思った。
あそこには、『透明の棋士*2で読んだ北野さんの「思い」が確かに刻まれていた。


退勤後、旅の疲れを感じつつも、
「疲れをいやすための本屋」というお告げに従って、
環状線天王寺まで。今日は店の外からすでに、
レジ内で働く北村さんの姿を確認。安心して、
新刊台にとりつく。ゆっくりと見て回る。
ここだけでお腹いっぱい、回復するな。


店内を見て回ると、心なしか、本が減った気がする。
後で北村さんに聞いたら、レイアウトの変更の途中で、
特に本が減っているわけではないらしい。自分の感じる印象って、
あてにならないもんですな。すわ、閉店!?と肝を冷やしたぜ。


購入。スタンダードブックストアあべの。
内沼晋太郎、綾女欣伸、田中由起子『本の未来を探す旅 ソウル』(朝日出版社
柳本々々、安福望『きょうごめん行けないんだ』(食パンとペン)


『きょうごめん行けないんだ』は、初めて見た。表紙の絵のかわいさ、
ペーパーバックのような軽い手触りの造り(好物、善行さんの『古本頭』とかね)、
「食パンとペン」という響きの魅力などもさることながら、なんというか、
この本の成り立ちの不明さがどうにも気になって連れて帰ってしまった。
まえがきとかあとがきとか、ないのね。「会話辞典」と銘打ってるけど、
会話文集のような体裁だし。いや、あえてこれを「辞典」として読めば、
めくるめく快感が訪れるのだろうか。


北村さんと少しだけお話して、帰る。今日は特に忙しそうだった。
欲しい本が買えないほどたくさん並んでいる本屋さんを訪ねることももちろんだが、
こうして、本が好きで、本を売る仕事を続けている人と言葉を交わしに出かける、
ということがぼくのなかのなにがしかを回復させてくれるんだな、と思う。


車中のとも。
木村俊介『インタビュー』(ミシマ社)

一対一で会う人どうしのコミュニケーションとしてだけでなく、孤独についての言葉は、それをひとりで読む人の飢えた心にも突き刺さるのが、うしろ向きなようでいて、インタビューの持つ大きな価値、可能性だと私は思う。(p.149)


本を読むときの、ひとりであってひとりでない、という、
絶妙なバランスについて言い当てているようで、立ち止まった箇所。
取材者と取材対象者とで交わされた言葉を、本という形で、受け止める。


第一章、読み終えたところで、一息。これは、そうとうな本だぞ。
木村さんの文章は、一文が長くて文意をとるのがなかなか難しいと感じるのだけれど、
そこは日本語、ゆっくりと、ときには繰り返し読み直すことで、だいたいの意味は聞こえてくる。
そして、味わい深く、面白いと感じるようになっていく。*3


一対一のインタビューではないのだけれど、今度のブクブク交換会も、
「そのつど一回限りの、次の回答ではどんな言葉が発せられるかわからず、
基本的には言葉による質問と回答からなる肉声でのやりとり」(p.151-152)になる。
既に4人参加表明があり、砂川さんと、未読倶楽部のふたりと合わせて7人が集うことになる。
未読ではあるけれど魅惑的な本についての話が7人分聞ける、これは非常に楽しみだ。
自分が何を話すことになるかも、楽しみ。その場にならないと、
どんな話が口から飛び出すか自分でもわからない。

*1:https://book.mynavi.jp/shogi/products/detail/id=72954

*2:北野新太『透明の棋士 (コーヒーと一冊)』(ミシマ社)

*3:その昔、一度くらい英文読解でも感じた面白さにも似ている。