読み散らかし、読み飛んでゆく

バラッド30曲で1冊 (角川文庫)


午前中、妻と近所の花屋に、
母の日の花を買いに行った。
初めて行ったお店だが、
なかなか良かった。


帰りに、なぞの料理屋も発見して、
なかなかにわくわくする散歩であった。


午後は、長谷川さんの宿題にかかりきり、
と言いつつ、あっちゃこっちゃの本を、
拾い読んではため息をついて過ごした。
これという一冊があったわけでもないが、
こういうのも、読書の醍醐味のひとつか。


夜、娘が帰ってきた。「サビシカッタ?」
なぞと聞きよる。あぁ、寂しかったさ。
そういう時、ぼくは素直にそう答える。
だって、確かに、寂しさを感じたから。
それを、忘れる時間があったにせよ。


飯を食って、歌を歌って、絵を描いて、
シャワーを浴びて、絵本を読んで、
ようやっと、娘は寝た。


散らかっただけの読書では、
やはり何か満腹感を得られない、と、
片岡せんせいにご登場願う。


こんな風に、飛び飛びで、
一気に読み切らずに読み継ぐ読み方は、
あまりしたことがない。けれどもこの本は、
なぜかたまたま、うまいことその読み方で、
胃の腑にしみるように効いてくる。


休みのとも。
片岡義男バラッド30曲で1冊 (角川文庫)』(角川書店


「セーターを脱ぐ」から「いつも小道具」まで。
「いつも小道具」が、良かった。このふたりが、
恋愛関係になったことはないんだろうなと思う。


どちらかが、あるいはどちらとも、好意を抱いているにせよ。


いま、この記事を書くために、前回、この本の中の、
2つのかたまりだけを読んでとても良かった日のことを、
どんな風に書いていたかチェックしようとしたら、
ツイートしただけで、記事にはしていなかった。


こんな風にして、すてきな読書体験も、
風に吹き飛ばされて散ってゆくのだ。


飛ばされるがままにしてもよかったが、
ツイートをそのまま、載っけておいた。


往復六車線のバラッド:http://d.hatena.ne.jp/tori810/20150409