初めて行く街と再び読む小説

タンノイのエジンバラ (文春文庫 (な47-2))


七五三のお参りに行く。
義父母が来て、娘が準備しているあいだ、
自転車で春日大社へ先乗り。今年初コートも、
坂をのぼれば、暑くて脱いだ。


受付だけすませて、娘を待つ。
よその家族の着飾った様子に引け目を感じるも、、
登場した娘の着物の鮮やかな赤にはっとする。
「親ばか」とは、生きる気力のひとつである。


車中のとも。
長嶋有タンノイのエジンバラ (文春文庫 (な47-2))』(文春文庫)


読んでるうちに眠くなって、泥という語が思い浮かぶほどに寝た。
ときどき目が覚めて、また読み出しても「これってどうだったっけ」と、
気になる点がいくつも出てきては前に戻って確認して、なかなか進まない。
調べてるうちにまた眠くなり、ただページ上をうろつくだけだ。


何を読んでいるのかすら分からなくなってすっかり迷子になっていても、
それほど不安にはならなかった。なんで不安にならないんだろうな、
と思いながら少しずつ読み進めて、ふと気づいた。この「夜のあぐら」も、
前に読んだとき、すごく面白かったからなんじゃないかしら。


前に読んで面白かった小説の、内容をすっかり忘れて読み直すのが好き。


『タンノイのエジンバラ』という本は、
かなり面白かった感触が首の後ろあたりに残っている。
ブルボン小林の『グッとくる題名』*1で、
あまり気に入ってないタイトルの例で挙げられていて、
僕はむしろタイトルの由来に嘆息した方なので、
本人相手に憤ったりしたものだった。


「夜のあぐら」を読み終えないまま、芦屋に着いた。
なんだ、この街。なにか、見たことのない、光景に思える。
目的地がどこにあるか、ちっともわからないので、
いったん改札まで戻って地図を眺めた。


少しだけ時間があったので、夕暮れの芦屋を歩いて、
ジュンク堂書店を目指す。この街の歩道と信号と高低差と
川の配置の独特さよ。記憶の中のいくつかの町の風景と、
少しずつ違う、少しずつ似てる点を転がしながら、歩く。


購入。ジュンク堂書店芦屋店。
空想書店書肆紅屋『書肆紅屋の本―2007年8月~2009年12月』( 論創社


帰りの電車、直通の、快速急行でも1時間17分か。
遠いなぁ、芦屋。でも、たっぷり読めるね。


「夜のあぐら」を読み終えた。全く覚えていなかった。
面白かった。名作だ、と思った。


続けて「バルセロナの印象」を読む。
僕には兄弟がいないので、姉と話すというのは、
どういう感じかな、などと思いながら読んでいる。
「夜のあぐら」も、三姉弟の話だった。