見つけたところで買う

SOTOKOTO (ソトコト) 2014年 02月号 [雑誌]


ゆうべの七転八倒の痛みは引いており、
なんとか、仕事に行けそうだ。今日も雑誌は、もりもり。
そして、たまりにたまった客注伝票。


品出ししていると、「明けましておめでとうございます」
と言う声。「今年もよろしくお願いします」と、なじみのお客さん。
なんとまぁ、こちらこそ、よろしくお願いいたします!


これだけで、今日はすばらしい日だ。
というエピソードを、ここに記すタイミングで思い出せたものの、
するりするりと忘れてしまうのも、人生。


車中のとも。
多和田葉子言葉と歩く日記 (岩波新書)』(岩波書店

自作朗読とは、自分が他人になる瞬間なのかもしれない。朗読はどこか「くさい」、「恥ずかしい」と言う人は、自分の書いたテキストに対して他人になりきれないのかもしれない。(p.66)


朗読を「する」ことに対して「くさい」、「恥ずかしい」と言う人について書いてある。
朗読を「聞く」ときに感じる「くさい」、「恥ずかしい」という感情はどうか。
「自作朗読するときに恥ずかしさを感じている人の朗読」を聞くと、
恥ずかしいと感じるのだろうか。でも、恥ずかしさを感じながらの朗読も、
味わいがあるような気もする。詩の朗読とか、やっぱしどこか、
恥ずかしかったりするんじゃなかろうか。どうだろうか。


勤め先には入荷していなかった『ソトコト』を求めて、
帰り道にあの本屋さんに寄ってみたら、あった。
ついでに『ケトル』も見つけてしまった。


購入。
SOTOKOTO (ソトコト) 2014年 02月号 [雑誌]』(木楽舎
ケトル VOL.16』(太田出版


自分の勤め先で買えば従業員割引になるし、
勤め先の売上げにもなるニモカカワラズ、
近所の本屋さんで買ってしまう、というのは、
どういうメカニズムなんでしょうね。


早く手に入れたい(←早く読みたい、と微妙に違う)、
先送りすると入手できないかもしれないという不安、
その本を仕入れ、配架していることへの賞賛を示すための購入、
といったところでしょうか。