ギャツビー再訪
今年に入ってからも何度か、ギャツビーの評判を読んだ気がする。
恐らくは村上春樹がらみの、内田樹や高橋源一郎の紹介か、
まあ、とにかくそういう「とってもいいらしい」という、
「誰かのリスペクト」に少しずつ背中を押されて、
何度目かの挑戦的訪問となったわけだ。
たぶん、春樹訳のギャツビーは、まだ未読だった。
新潮文庫版*1と、講談社の英語文庫*2は、学生のころ、
読んだ。あまり面白くなかった。そのときは既に、
評判を知っていたのだろうか。知らなかったかもしれない。
第一章を読み終えたとき、電車はまだまだスピードを緩めていなかった。
前の駅から、ずいぶんと走っているような気もする。
降りる駅を過ぎてしまったのではないかと、
少しだけ心配になる。けれども確か、
鶴橋の次はこんなにも走らない。
生駒駅から鶴橋駅までの、ちょっと長い距離の途中で、
本を閉じて、ギャツビーの余韻に揺られているのだ。
おそらく。
車中のとも。
スコット・フィッツジェラルド、村上春樹『グレート・ギャツビー (村上春樹翻訳ライブラリー)』(中央公論新社)
ただの気の利いた警句としてとってほしくないのだが、人生というものは詰まるところ、単一の窓から眺めたときの方が、遥かにすっきりして見えるものなのだ。(p.15)
*1:フィツジェラルド、野崎孝『グレート・ギャツビー (新潮文庫)』(新潮社)
*2:F.S.フィッツジェラルド、講談社インターナショナル、Francis S. Fitzgerald『THE GREAT GATSBY (講談社英語文庫)』(講談社)