忘れない言葉、見つからない本

Pen (ペン) 2017年 11/1号 [映画・小説・マンガの名作から最新作まで SF絶対主義。]


ゆうべは久しぶりに、とり本屋の記事を書いた。
ここのところ、書けない日々が続いていて、
書けていないことも思い出さずにいた。
ときどきは、書いていきたい。


車中のとも。
若菜晃子『街と山のあいだ』(アノニマ・スタジオ


「箱根の雪」から「また登る山」まで。あれもこれも良かった。
車中には、本を読む人、新聞を読む人がちらほら。タイムスリップ感。


夕方、年賀状ソフトを出しているところに声を掛けられた。
お孫さん姉弟に何かおみやげを買っていこうというおばあさん。
厳しい母親のチェックをかいくぐって、無事にふたりの息抜きに、
想いを届けることができただろうか。私は役に立てたのだろうか。


気になる新刊。
Pen (ペン) 2017年 11/1号 [映画・小説・マンガの名作から最新作まで SF絶対主義。]』(CCCメディアハウス)


車中のとも。
若菜晃子『街と山のあいだ』(アノニマ・スタジオ

私はあたかも偶然通りかかったふうを装って画廊の御主人と思われる方にお辞儀だけして、絵を拝見した。串田先生のお得意とする、繊細だが迷いのない線で描かれた抽象画で、若い私には文章と同じで、まだその本当のよさがわからなかったが、それでも十点ほど並んだ絵のなかで、どれがいちばん好きだろうかと考えながら見ていった。私は学生時代、美術史の講義にも出ていたのだが、そこで学んだのは、美術館で絵を見るときは、自分がどれがいちばん好きかを考えながら見なさい、という教授の教えだった。私はその言葉を忘れることなく、美術館で絵を見るときは、必ずどれが好きかを考えながら見るようになった。そうやって見ていくと、必ずひとつは好きなものが見つかり、また自分のなかになにかが残るのだ。(p.121)


「山の石」、「今日の夕陽」読んだ。どちらも、ぴしりと厳しい文章。
しゃんとせねば、と思う一方で、俺にはまだまだたどり着けないという甘えた心も頭をもたげる。


「甲山にハトを捨てに行った話」、面白い。これは、笑ってもいい話ですよね?
どうやってドバトの個体を識別できたのかという疑問は残りつつも、
初めて登場した若菜さんの子どもの頃のエピソードが、新鮮。


配本ゼロだった飯間新書*1を、
帰りの駅の本屋さんや啓林堂さんに探すも見つからず。
他の光文社新書は入っているのをみると・・・。


こないだ実家で見つけられなかったカフカの『夢・アフォリズム・詩』*2があったが、
飯間新書はなかった豊住書店。そしてベニヤさんは店じまいしてるから覗けず。
これだけどこにも入ってないなら、客注マイセルフしようか。


ネットで選挙のことを少し調べる。
そういえば、選挙公報まだ来ていない。ネットにはPDFあり。
アナログ生活の人で、期日前投票したい人は何を参考資料にしているのだろう。
まぁ、選挙公報なんて来たところで、たかがしれているけれど、それでも。
あと、選挙公報の各党のスペースの分配比率、どうやって決めてるの?


洗濯物、干して就寝。