本に叱られ、真一文字
小走りしなくても十分に間に合う時刻、
あるいは小走りしても全く間に合わない時刻に家を出たので、
小走りせずに駅まできた。
世界が違って見えた。
雲の多い、穏やかな空。
読みながら友人を思い出してメール。学校の先生をしている彼の存在は、
本を読むときにときどき、補助線のように僕の思考を切り開いてくれる。
「教科書の世界」(p.69-71)は、荒川さんの文章が教科書から消えた話。
「誰よりも早い声」(p.73-75)では、斎藤隆夫のことを書いている。
斎藤隆夫を、知らなかった。『回顧七十年』*1(中公文庫)探してみよう。
議会政治の力を思い知った。この回顧録には、当時の文学・思想界を席巻した左翼の動静は全くといっていいほど出てこない。議会への通路について考えをもたない反戦思想、プロレタリア文学は、現実とは別の世界に置かれていたことになる。議会政治が政治のすべてではない。だが議場の外側での動きは、どのようによいものであっても力とはなりえないのだ。そのことを忘れてはならないと感じた。(p.75)
午前中に来た版元営業さんにエネルギーをいただく。
自家発電できないポンコツですまん、という気持ち。
10mくらいがんばります、という気持ち。
「あの日以後この国は変わった、私も目覚めたという人たちの一見すなおだが、よく見るとそこの浅い単純な詩文」(p.88)
荒川さんに叱られた気がして、でも眠くなってきたし、本を閉じてガムを噛んで、
サニーデイを聴く。感傷も長いこと噛んでると味気なくなる。
地上に出ると、もう暗い。7時過ぎると、暗いのだったか。
8月って、そんなだったか。ベニヤさんは、もう閉まっていた。
『回顧七十年』を探してみようと思っていたのだが。