40代モラトリアムの出遅れ感

SNSは、万能ではないにせよ、かつての「雑誌」と等しくはないにせよ、
「必要な情報とそうでない情報が束になっている」(p.61)という特性は、
雑誌と近しいところもあるのではないか。僕には見えていない粗はあろうが、
あるヒトにとって良しとしている情報が次々と出てきている「場」を見るのは、
自分の価値観で購入した雑誌の中に混じる「必要でないと思われる情報」の摂取と、
近い効果があるように思うのだけれど。なんつって、そのような効果を求めて、
SNSに接しているわけではないのだけれど。


なんて、SNSに関してはついつい言い訳めいた反論が頭に浮かぶものの、
ちょっと皮肉めいた自虐めいた物言いで、そのくせ圧倒的な体験を元に淡々と、
堀部さんによって語られる「90年代のこと」のあちらこちらに、かろうじて、
自分にも「分かる」部分を発見しては、心の中で快哉を叫ぶ。

朝起きると『増刊号』が始まっていた日の出遅れ感。(p.82)


いつもなら眠ってしまう行きの電車も、
今日は、しっかりと起きていて、本を読んでいる。


車中のとも。
堀部篤史90年代のこと―僕の修業時代』(夏葉社)


店に寄り、先に気になっていた作業を済ませてから昼食、
なんていう考えもちらっとあったけれど、続きが気になって、
先に食事にすることにして、モスバーガーへ。コーヒーを飲みつつ、
美人に気を取られつつ、続きを読んだ。うわー。


読了。
堀部篤史90年代のこと―僕の修業時代』(夏葉社)


しばし放心。
軽々しく、感想を口にできない感じ。
「お前は、どうなんだ?」と、静かに、
真摯に、目を見て問われてしまっている感じ。
勝手に、来し方行く末を問われて、絶句する。


この気持ちは、「つらい」というのに似ている。
この気持ちと向かい合わなければいけないと思ったり、
この気持ちから目をそむけたいとも思ったりする。


どうやって気を取り直したのか、
いつの間にか業務の中に取りこまれて、
働くことができた。働かされてしまった。
歯車はきちんと回って、「機構」を維持することが、
求められている。歯車でいることは、
気持ちのいいことでもある。


車中のとも。
荒川洋治忘れられる過去 (朝日文庫)』(朝日文庫

表現は全体でするものであり、誰かがいいものを書く、ということがたいせつであり、わざわざ自分が書くことはないのだ。(p.170)


行方不明になれる人だからこそ、詩集の出版ができたのかもしれない。(p.172)


いいほめことばを読むと、うれしくなる。いいもの、すばらしいものがこの世にある、たしかにあるのだと思う。そしてそれが生きるための力になることがわかるのだ。(p.201)


「きょう・あした・きのう」良かった。
今回の朝日文庫での『忘れられる過去』は、
みすず書房単行本*1で読んだときの記憶をほとんど呼び起こさない。
朝日文庫でも、2回目か、3回目の再読。
また単行本でも読みたい。


いや、単行本を再読するなら『夜のある町で』*2が先かなー。