連想と沈黙と彼女

POPEYE (ポパイ) 2015年 01月号 [雑誌]


『街場の戦争論*1
は、昨日の夜、
二度めの読了を迎えて部屋に置いてきた。


車中のとも。行き。
赤坂真理愛と暴力の戦後とその後 (講談社現代新書)』(講談社


目次を読む。並べられた小見出しからの連想を、
書き留めておきたくなる。その話題については、
こちらにもいろいろと思うところがあるはずなんだ。
でも、しない。できない。自分で考えなきゃ、とは思うのだけど。


そうして、本を鞄にしまって、
歩き出す。本屋さんにゆく。


ここのとこずっと、今度ある本の交換会のことを考えている。
今日、ふと、絵本というのはどうだろうか、と思いついた。
もらったときの気楽さや読みやすさでいけば文庫だけれど、
OSKでのネタが痩せてしまいそうだし、せっかく縛りがないなら、
文庫以外で選ぶことに挑戦してもいいのかなぁ、と。いや、絵本なら、
むしろ、文庫にも匹敵する「交換本」のスターになりうるのではないかと。


でもねぇ、候補で思いついた絵本、勤め先には在庫ないのよね。
他のお店でも、簡単には見つからなそうだしねぇ。どうしよかな。


気になる新刊。
POPEYE (ポパイ) 2015年 01月号 [雑誌]』(マガジンハウス)


ガールフレンド、かぁ。


車中のとも。帰り。
赤坂真理愛と暴力の戦後とその後 (講談社現代新書)』(講談社


目次との遊戯についての欲望が薄れたすきに、
第1章「母と沈黙と私」を読み出した。わざとなのだろう、
「私」が16歳前後でアメリカに行ったらしい事情が、
時系列を前後させたり、解説を省略したりしながら、
「わかりにくく」説明されている。それはけれど、
ものすごく魅力的だ。誤解を恐れずに言うなら、
物凄くかわいい女の子の話を聞いているような。

私には、戦後の天皇は素朴な疑問であり続けた。
なぜ、彼は罪をとわれなかったのだろうと。
なぜそれを問うてもいけないような空気があるのかと。(p.28)


『街場の戦争論』を読んでいても、
この疑問はわいた、そういえば。
なぜ、彼は罪をとわれなかったのだろうと。


ドイツにおける鬼胎がヒトラーなら、
日本における鬼胎は、誰にあたるのだろう、と。


帰ってきたら郵便受けに、選挙公報と選挙通知書と、
「このパンフレットは、政党の自由な政治活動であって、
 選挙期間中でも自由に配布できます。」という、
言い訳がましいコメントが付された、赤い背景に、
どこかを見つめながらにやりと笑う一人の男性と、
「景気回復、この道しかない。」という文字が印刷された、
「政策パンフレット」と題された冊子などが入っていた。


なんとも気分の悪くなる組み合わせではあったが、
僕にとっては、「この男の下で戦争をたたかいたくないな」
という気持ちを再確認できたので、よかったと言えなくもない。
少なくとも、まだ、「投票する権利」は残っていたようだし。


【総選挙2014】首相が「どの論点を避けているか」にも目を向けてみる(山崎雅弘)
(ポリタス 「総選挙」から考える日本の未来 )
http://politas.jp/articles/240