月曜の夜、京都ではしゃぐ

願わくは、鳩のごとくに (扶桑社文庫)


また、次の本へ手を伸ばすとき。
ここのところ連続して、読み終えた本の、
なにがしかの誘いで次の本へとつながっていたが、
ゆうべは、少し、新しい流れを始めたい気分で、
それでも、最近の心の中で浮かんでいる、
手がかりは気にかけながら棚を眺めた。


初めての人に会うときにセンチメンタルでありすぎないこと、
そんな「いましめ」が頭をよぎって、それはおそらく、
センチメンタルに向かっている自分の速度が、
明日の予定の中で接触事故を起こしそうな、
ヒヤリとした不安のせいであった。


朝、改めて本を選ぶ時間もなく、
ゆうべ、ためらいつつ鞄に入れた本を開く。


車中のとも。
平出隆葉書でドナルド・エヴァンズに』(作品社)

いつまでも投函できないで、言葉だけ増殖していくような郵便物というものが、あるのかもしれない。(p.35)


30才の誕生日にもらった本を、なんとか30代のうちに読み始めた。
あの頃の自分へ宛てた言葉が、いまなお僕を励ます。
ゆうべの選書不安は、杞憂であった。
この本は、良かった。


それにしても、と思う。
自分の本棚にやってきてから長いこと開かれなかった本を読むときの、
それがとても面白かったときの、嘆息。


   自分の仕事に対する「批判・批評」を受け取ったときに、
   思いがけず強い抵抗が頬を紅潮させるとき、意外と、
   何かしらの思い入れがあるんだな、と思う。けれど、
   その反発を何かに育て上げることはできないので、
   そっと思い入れに毒をもって、逃げ出す準備。
   頭が痛い。ストレスか。ひよわだな。


いそいそと退勤。
ヒノさんのあとを追って、京阪で京都へ。
車窓からの淀川沿いの眺めは残念ながら、
早い夕暮れの闇に隠れてしまっていた。
iPod で音楽を聞きながらTL遡行。


頭の片隅で、このあとの動きを検討。
出町柳まで出て自転車に飛び乗るには暗すぎる。
ガラケーでヒノさんから送ってもらった店を検索。
だいたいの場所しか分からない。新刊書店で、
地図を覗かせてもらおうか。


祇園四条で降りた。夜の京都を歩き出す。
四条通りを西へ。人がたくさんいる。特に地図を見るでもなく、
何となく本屋のある方へ向かっている確信があるのが嬉しい。
ボクなりに、京都にも馴染みの道ができてきているのだ。


ブックファースト京都店の細いエスカレーターをのぼる。
『BOOKMARK』*1が残っていたら、ヒノさんへのおみやげに、
なぞと考えながら店内に足を踏み入れると、文芸雑誌のコーナーに、
ユリイカやら本の雑誌やらの平積みがあってぎろりと睨まれる。
自分の売場のことを思い、殺してしまった思い入れの面影が、
さっと胸を冷やす。足早に海外文学の方へと逃げてゆく。


『BOOKMARK』は、見本用の1冊に「配布は終了しました」という紙がついていた。
「置いていたけど、今はもうない」という情報は、とても有益だ。しかも、
実物を手に取ることはできる。こういうひと手間をかけられることに、
ひれ伏す。ひれ伏しては、自分の怠惰を後ろ足で隠そうと蹴とばす。
そうして、海外文学の、こんなにもたくさんある背表紙に、
すごい、と思う。台湾のあたりを目で探す。探せるテーマがあることに、
喜びを感じる。ぜんぜん読んでいないのに、ただ書名をいくつか知っているだけで、
今まで全く関心のなかったジャンルの棚でも、ゆっくりと視線をすべらせることができるのだ。


「本の本」のコーナーも見る。充実している。
本の雑誌社の、正木香子さんの新刊があった。
TLで見かけたときはそれほど気にならなかったが、
本を手に取り、目次をパラパラ眺めると、危ない!と思って、
本を棚に戻した。これは、面白い奴だ。危ない、危ない。


購入。ブックファースト京都店。
温又柔『来福の家 (白水Uブックス)』(白水社


それほど大きい店ではないのに、なんなんだろう、
この存在感。それほど多くの人が買っていくわけでもないはずの、
と、ぼくだったら仕入れをしり込みしてしまうような本を、
バーンと集めてずらりと並べて見せてくれる。嬉しい。
そして、きっと、ぼくが想像しているよりずっと、
売っているのだ、そういう本を、この店の人は。
参ったね。


続いて北上。ヒノさんが、レンタサイクルを返却している。
待ち合わせまでにはもう少し時間がある。お茶でも飲むつもりかしら。
相変わらず外の看板が見つけられない、そっけないBALの建物に突入。
もう迷わない。でも念のためフロアガイドで「丸善」の存在を確かめて、
エスカレーターに立つ。地図でなんとなく店の場所の見当をつけて、
少しくらいは棚も見ようと歩き出す。朝日選書がある。
さすがに、山崎佳代子さんのは、置いていない。
ふと文庫棚の厚みに目を転じ、扶桑社を探す。


・・・あった。


購入。丸善京都本店。
杉田成道願わくは、鳩のごとくに (扶桑社文庫)』(扶桑社)


ごくごく一部しか見ていないのに、この満腹感。
この店を支えるだけのお客さんが、集まっているのだ。
それだけのお客さんを集めるべく、棚を耕し続けているのだ。
もう一度、ひれ伏しておこう。


気になる新刊。(既刊もあるデヨ)
書物研究会『図書の修理 とらの巻』(澪標)
正木香子『文字と楽園〜精興社書体であじわう現代文学』(本の雑誌社
団地のはなし 彼女と団地の8つの物語』(青幻舎)
中江有里わたしの本棚』(PHP研究所
頭木弘樹絶望図書館: 立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語 (ちくま文庫)』(筑摩書房


外に出る。ふいに、懐の寂しさを感じて、
銀行のATMを探して足を速める。
四条烏丸まで行ってしまった。
TLを見れば、ヒノさんは宿にチェックイン。
おいおい、ずいぶん余裕だな。こちらは小走りで、
四条通りを戻って麸屋町通へと足を踏み入れる。
錦市場を通りすぎて、あ、ここだ、この店だ。


店の前に立っていた男性に、不用意に話しかけてしまう。
「ミシマ社のワタナベさんですか」


違った。


今日は、ミシマ社のワタナベさんもいらっしゃると聞いていて、
なんとなく、そうじゃないかと思って話しかけてしまったのだ。


あわあわと焦りながらも、その男性に本の香りを感じて、
もにゃもにゃと言葉を差しだしてみると、どうやら、
この人も今日の参加者のようであった。すると、
その後から続々と、僕の知らない人がやってきて、
「あ、どうも!」「ワタナベさんはまだですね」とか始まって、
名刺をいただいたりしてしまう。そういうのに弱いわたしは、
名刺入れなどという気の利いたものも持たず、ほとんど使っていない手帳から、
よれよれの名刺を差しいだす。そこへ、自転車で颯爽とワタナベさんが登場した。


ヒノさんは現れないまま、総勢6名の、知り合いだったり、
初めましてだったりの面々がビールで乾杯。少しずつ、座が温まる。
集っていたのは、京都の書店員の方、出版社の方であった。トリイ氏の名前も出た。
僕以外の5人はあっという間にビールを飲み干しておかわりを注文した。
やがてヒノさんもやってきて、トリイ氏も現れ、アルコールに励まされ、
だんだんリラックスしてきたボクは、いつしかはしゃぎだしていた。


今日、買ってきた文庫を、なぜかトリイ氏に見せている。
そう、これは『言葉はこうして生き残った』*2で知った本なんだ。
河野さんの紹介していた本が、ことごとく入手しにくいことを嘆く。
嘆きつつも書名を思い出せなかったりして、寝言みたいな嘆きだ。
そのまま文庫は、ぐるり列席者の手にリレーされて戻ってきた。
なんだ、これ。思い出せなかった本は、新潮社の、
『幻の勝利者に (1970年)』でした。


宴も終わりの頃にもう一人、遅番勤務を終えた書店員の方が来た。
その歓迎されっぷりに、『愛されている人なのだな』と嬉しくなる。
何というか、誰かが誰かを愛している様子は、にっこりしてしまう。
はしゃいだ気分で顔面がテカテカしていたぼくは、この方が、
今日のこのわずかな印象だけで僕を遠ざけませんように、
と祈った。チラリと、おぼろな過去の醜態がよぎる。


どなたかが注文してくれたのだろうか、
温かいお茶が目の前の置かれた。おいしくいただいた。
頭痛は、いつの間にか消えてしまっていた。


「そろそろ奈良に帰ります」と言ってからも、
未練がましくズルズルとはしゃぎ残して、そのくせヒノさんやワタナベさんに、
きちんと挨拶もしないまま、夜の京都へと駆けだしてしまった。
本の周りには、心強い味方が、まだまだたくさん、
いるんだなぁ、と嬉しくなった夜。京都は、
頼もしいところですなぁ。また来よう。


帰宅すると、ポストに『BOOKMARK 09』届いてた。