僕が明日にいるように

もう生まれたくない


生駒を過ぎてから慌てて送品表をチェック。
今日は、りなちゃだ。夜には楽しみな「飲み会」も。
「次は鶴橋」のアナウンスを聞きつつ、単行本を取り出す。
この身軽さを大切に。


車中のとも。
木村俊介『漫画編集者』(フィルムアート社)


車内で勉強する子たちがちらほら。熱心にノートを見ている。
スマホをいじっている子もいる。あれも勉強かもしれないな。
ふいに学参担当としての人格が前面に出てくるも、
特にひらめきはおとずれなかった。


講談社の『本』にて読んだ、長嶋有自身による新刊刊行によせた担当編集者への弔辞が効いていて、
担当者が休みでブックトラックに放置されていた単行本(入荷2冊)をすっと抜き取る。
重たくて置いて帰った『類語国語辞典』*1は、またも後回しに。


購入。
長嶋有もう生まれたくない』(講談社


鶴橋にて若者とサシ飲み。こちらからの感覚としてはジェネレーションギャップに苦しむことなく、
楽しく飲みました。向こうも楽しかったならいいけどなー。


地下鉄に傘を置いてきてしまったのが悔やまれる。
飯間さんのNHKテキスト*2配本0が悲しい。
それ以外は、おおむね幸せな気分で帰宅する。


夜ふかしのとも。
トム・レオポルド・岸本佐知子君がそこにいるように (白水Uブックス―海外小説の誘惑)』(白水社

もしも自殺した人がこの世に戻ってきて、自分が仕返ししてやったつもりの人たちがそんなにいつまでも悲しんでいないのを知ったら、もう二度と自殺なんかしないでしょうね。(p.22)


本棚に差さっていたのを何気なく読みだして、
22頁のこの台詞までたどりついて、大きく息をつく。
読みだしからこの台詞までの道のりの長さ・時間も含めて、
なんというタイミングでくりだされてくるのだろうと、
起きた奇跡の「ありがたさ」に足が震える。


おそらく、自分でも意識できてない部分で、
僕はこの台詞に命を助けてもらってきたんだろうな、と思う。
本当にしんどかった頃に読み返した記憶とかはないのだけれど、
例えば今夜のように、表面的には「幸せ」としか感じられない夜に、
うっすらとした人恋しさ、もしくは不幸を嗅ぎたいセンチメンタルな、
甘えた破滅願望、腐った思春期の残骸、「不幸な詩人」への嫉妬、
その他もろもろの残念な諸条件が心臓の裏側に集合し始めると、
白血球とともにこの台詞が全身を駆け巡って、
明日を目指すことを再確認する。


今、改めて、「もう二度と自殺なんかしない」と決意する。