ハロルドと知世

今日は休配日。お茶だけ口にして、
そそくさと家を出た。車中、送品表を見ることもなく、
すぐに文庫を開く。ハッとして外を見たが、今日もまた、
お気に入りの石碑を見逃してしまった。


車中のとも。
レイチェル・ジョイス、亀井よし子『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅 (講談社文庫)』(講談社文庫)


「ハロルドとホテルの客」では、ハロルドの「感謝」への変わり目が分からず、
何度も読みなおしてしまった。バーの経営者と食べ物を恵んでくれた女性との交流では、
ハロルドと触れ合うことで周りの人がどのように変化するのかが、少し分かった気がした。
つまり、ホテルの客たちとのことも、そういうことなのだろう。ほんの少し、変わって、
ほんの少し、変えてもらって。

どちらだってかまわない、とハロルドは思った。彼はもはやキングズブリッジを発ったときの彼ではなく、あの小さなホテルを発ったときの彼でさえなかった。(p.88)


酒井さんが「たまには本屋さん巡りでもしてくれば」って言われたタイミング。
ハロルドが、ポストに向かって歩き出したタイミング。
さまざまな偶然が重なりあって、僕はいま、ここで、
こうしてハロルドの姿を追っている。


今日も、途中の乗換え駅でパンとコーヒー。
そして文庫を読みふける。


ハロルドアンド、ハロルドアンド、と続いて、モーリーンアンド、
とかわされた。「アンド」について考えると必ず、郡山の「Books & ALL」の本屋さんのことが浮かんでくる。
世田谷ピンポンズ、アンドブックス。休配日アンドイレギュラーシフト。


ハロルドの現在と、ハロルドの回想。
ときどきモーリーン。よろこびとくるしみとが足早に行き来して、
そのたびに少しずつ感傷が蓄積されていく。僕の中に蓄積されていく。
銀髪の紳士との握手を見届けてページを閉じた。本を鞄にしまうと、
iPodで、昨日入れたばかりの原田知世の曲*1を探す。
他の人の歌っていた曲を原田知世の声で聞き直す。
そのことでなぜか、傷が深まったような気がする。
間もなく店に着くというころ、僕はほとんど、
泣きそうになっていたくらいだった。


いつも一番最初に店に入るのだが、途中から出勤したときに、
先に来ていた人たち全員に挨拶して回るのが、好きだ。
最後の一人に「おはようございます」と言ったあと、
弾むような気持ちで弾むように歩いていた。


まったく、僕の気分はすぐにくるくる変わってしまう。


17時過ぎ、小休憩。本当ならば今ごろは車中のヒトになっていたかったのだが、
もう少し働かなければなのでiPodで「喫茶ボンボン」を補給する。
苦い苦いで暮れゆく人生。もう若者ではないのに、
まだまだ甘い。痛い痛い。


19時近く、退勤。ほぼ、定時。
世田谷氏は、今頃、何を歌っているだろうか。
雨の匂いがするけれど、今は降っていないようだ。
水たまりをよけながら、足早に駅へと向かう。


電車に乗って、今度は再び、原田知世の声を選ぶ。
行けなかったライブのことを忘れるために。
鶴橋まで来たら音を止めて、ハロルドと旅。


車中のとも。
レイチェル・ジョイス、亀井よし子『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅 (講談社文庫)』(講談社文庫)

ハロルドはもはや距離をキロ数では測っていない。自分の記憶で測っている。(p.154)