何度でも笑え瀕死の作業員

うぃずもあ的な女性誌発売日。
今のお店に移ってきてしばらくは、
その入荷の多さに震えていたものだが、
最近は、ずうずうしくなってきたのか、
入荷が落ち着いてきたのか、それほど、
心臓を圧迫しなくなった気がする。


とはいえ、GW前。明日の幼年誌を思えば、
苦笑いせずにはいられない。


車中のとも。
中山康樹ジョン・レノンを聴け! (集英社新書)』(集英社


読みながら、ジョンレノンを聞く。ジョンの声に励まされながら、
辛口、苦口の文章を摂取していく。こういう音楽とか曲とかを解説するときの文体って、
流行りすたりがあるんだろうか。どれもこれも似たような気がするのは、
たまたま似たような範囲のなかで曲解説に触れているからなのか。
今度森本書店さんに会ったら、聞いてみようかな。


新潮文庫解説目録の文体も、特徴ある気がする。あの長さの中で紹介すると、
だいたいの範囲がおのずと限定されてくるのかもしれない。あるいは、
そういう「傾向」みたいのは、読者側に生じているのかしら。


出勤して、送品表を印刷、明後日の「りなちゃ+ティーン誌来襲」を知り、
腰砕けになる。苦笑いも砕けて、哄笑へと昇華する。笑う門には福来る。
福だけでなく、ふろくも来た。なぜこんなにもナーバスな書店作業員を、
こそばしゅように冊子ふろくをつけてよこすのですか、この時期に?


雑誌補充の電話をかける。搬入日は、のきなみ5月6日。
入荷の暴風雨に耐え忍べば次には、売るモノの飢饉が待っている。
何度でも死ねる。ゾンビのように働け、GWの雑誌担当作業員。


ゾンビ作業員(雑誌担当)がふと見ると、4月中に返品しなければならない本を、
黙々と段ボールに詰めている学参担当さんがいた。『おつかれさまです』と、
ゾンビ語で唱えた。それは、互いの心の中で響いただけだった。なぜなら、
ふたりは同じ人物であり、声に出したら恥ずかしい独り言になるからだ。


車中のとも。
中山康樹ジョン・レノンを聴け! (集英社新書)』(集英社


中山さんがヨーコくそみそ言うのも、少し慣れてきた。
基本的に、くそみそ聞くのが苦手なので、ときどき顔をしかめながらではあるが、
思わず笑ったところもある。この笑いが、誰かを傷つけていなければよいのだが。

ただし空気の読めないヨーコは思い出したように虚空に向かって吠え、反省の色がない。(p.66)


誰かを傷つけない笑いなんて、あるのだろうか。
もしも誰も傷つけない笑いがないのだとしたら、
ぼくは笑うことを諦めるだろうか。


笑えなくなることはあるかもしれない。
でも、笑ってしまうことは、止められない。
「自発」ってやつですな。れるれるられる、
らりるれろ。