本の声を聞く、赤子の眼を見つめる

51歳からの読書術―ほんとうの読書は中年を過ぎてから


自分は花粉症なのではないか、という疑問。
しらばっくれているけれど、鼻水は出る。
ポケットティッシュを、駅の売店で買う。
お店のおばちゃんの笑顔に、嬉しくなる。
自分もレジ接客のとき、こんな風に、
誰かを嬉しくさせたいなぁ。


今日は笑顔のメモリ、ひとつあげてこう。
(あれ、メモリのつまみが見つからねぇな)


車中のとも。
鷲田清一「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)』(筑摩書房


「眼がかちあうということ」について。この「撥ねつけようとする遠心的な運動」(p.61)というのは、
赤子相手だと、弱まったりしないのだろうか。赤子相手なら「かち合う」ときの秘密を、
もう少し詳しく探れるのではないかしらんと思った。すると、そのすぐ後に、
幼児や赤ちゃんのことも書いてあるではないか!。さすが鷲田センセイ、
というところで、駅に着いてしまった。


本を読みながらツイートすることが多い。気が散っているようであり、
誰かからのそういうツッコミを想定もするのだが、今日は、ふと、
こうしていろいろと読んでいることから連想して、
あちこち気が散ることこそが楽しい、それこそ、
僕が「読書」に求めていることなのではないか、
というところまで考えた。


大学の講義でも、話の内容自体というより、
聞きながら書いたメモがどれだけ刺激的だったかで、
その講義に対する好悪が左右された気がする。


退勤後、鶴橋で駅を出て、なんばまで千日前通の坂をのぼる。
BGMは、サニーデイ・サービス『東京』、ここは大阪。
歩くのに、よい陽気。春の夜。下寺町歩道橋を渡る。
追い越していくカップルは、薄着だ。


21日で閉店するというジュンク堂千日前店を覗いたが何も買えなかった。
持ち合わせが心細いこともあったが、真の敗因は、
イヤホンを耳に突っ込んだままだったからだ。


本屋さんに入ったら、イヤホンを取ったほうがいい、
というのを、ずいぶん前に学んだハズなのだが。
本の声が聞きとれなくなるので。


気になる新刊。
永江朗51歳からの読書術―ほんとうの読書は中年を過ぎてから』(六耀社)


のんびりしていたら、もう時間がない。
少し焦りながら、なんばパークスへと急ぐ。
映画館で映画観るの、いつ以来だ。
ひとりで観るの、いつ以来だろう。


スター・ウォーズ/フォースの覚醒」を観た。
面白かったデス。


車中のとも。
鷲田清一「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)』(筑摩書房

ことばが、まるでそのひとにふれるかのように、そのひとにとどくというのは、いったいどういう事態なのだろう。(p.67)


フォースのことでしょうか。


と、とぼけてみたが、あぁ、やはり竹内敏晴が登場。
「話しかけのレッスン」でした。


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