本を並べて眺めたら、嬉し

数日前の天気予報に従って、ゆうべ、
わざわざコンビニで傘を買ってきたので、
その傘を握って駅まで小走り。もちろん、
若草山は朝焼けに輝いていた。


ちきしょう。
これで電車に傘を忘れたら泣ける。



車中のとも。
鷲田清一「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)』(筑摩書房

アドルノはここで、エッセイがさまざまの概念を駆使するやり方は、異国にあっていやでもその国のことばをしゃべらざるをえない羽目に陥ったひとの態度にいちばん近いかもしれないとつけくわえる。(p.45)


エッセイストの心意気に倣って、けれどもそのエッセイストが批判する「哲学」を、
あくまでも「哲学」を、「聴く」というあり方に着目して、回復させよう、
ということかな。『「聴く」ことの力』、なかなか難しい。


今、こんなにお金がないけれど、それは先月、
買わずにはいられないくらい苦い日々を通り抜けてきたからで、
こうして無事に生き延びられたことを寿ぎ、また、今となっては、
買わずにいてもだいじょうぶなくらい上機嫌でいる幸せを、
噛み締めようじゃねぇか、おい。


そして、そのときに買った本がたんまりある。


読め。


いや読まなくてもよし。並べて眺めたら、嬉し。