レコードのない部屋に暮らして
ひとりの朝。なんとか布団から抜け出し、
ゆうべまとめておいたごみ袋を持って家を飛び出した。
電車に間に合った。
昼休み、「レコード寄席!奈良編」のことをTLで知る。
しかし、仕事がある。師走のものすごく忙しい時期、
そうそうに退勤できるはずもなく、
残念すぎてショック死するレベル。
ゆうべ、島田さんに、「いつかレコード寄席行ってみたい」と、
メッセージを送ったばかり。この情報も、島田さんのRTで知ったのだ。
あぁ、せっかくの島田さんからのキラーパスをスルーするのか。
まだ、ボールはこちらに向かって、スローモーションで、
移動しているところ。
車中のとも。
田口史人『レコードと暮らし』(夏葉社)
すでにこの時点で「私たちが望むもの」のポイントを通過してしまっていたことにどうして気付かなかったのか。気付いていたはずの人々は、このジャマイカの波の音の前でいったい何をしていたのか。/ここからさらに三八年。私たちが『SURF BREAK FROM JAMAICA』以前に帰るにはあまりにも遅すぎる。(p.122-123)
むじゃきにツイッターに感想を放りこみながら、
笑ったりヒヤリとしたりしながら読み進める。
ときおり、反射的な感想をしにくい文章に出会い、
開いたケータイをまたすぐ閉じて、続きを読む。
近鉄奈良に着いて、残すところ、あと少し。
今夜も、おるすばんだ。帰ったら、ココアを作って、
『レコードと暮らし』を読み干そう。レコードプレイヤーはないけれど、
CDで世田谷ピンポンズの歌を流せば、部屋はもう昭和さ。
流れ来る世田谷氏の歌にときどき意識を持って行かれながら、
沼津中学校のエピソードを読んだ。少し、長い。ページをめくる。
右は、白紙。左に、「送り溝」。
いつの間にか世田谷氏は歌い終えていて、静かな部屋で、
「送り溝」を読んでいく。この本をかちかちツイートしながら読んでしまったことが、
田口さんにものすごく怒られるか、げんなりされる気がして、伏して詫びたくなった。
しかし、その田口さんの前でひれ伏す想像上の自分は、そのまま三転倒立をして、
「デモ、チョーオモシロカッタデス!」と非礼を重ねた。なんという暴挙。
読了。
田口史人『レコードと暮らし』(夏葉社)
レコード寄席、行かねばならぬ。
ショック死している場合ではない。
部屋に戻って、カバーをかけた。
二階で目をつぶっている男の人の、
満ち足りた表情が素敵だ。
慈しみの気持ちを持てる暮らし・・・。