断片的なる家族
駅構内の売店のシャッターがおりたまま。
よく見たら、閉店の貼り紙。日付は3月。
いくらなんでも3ヶ月も気づかないなんてこと、
あるかな。6月入ってからも営業してた気がするけど。
『昭和を語る――鶴見俊輔座談』(晶文社)の、
事前指定FAX、間に合ったっぽい。いつも晶文社さんの、
締切過ぎてから気づくからなぁ。矢萩多聞さんの装丁、楽しみ。
購入。
宇田智子、高野文子『本屋になりたい: この島の本を売る (ちくまプリマー新書)』(筑摩書房)
岸政彦『断片的なものの社会学』(朝日出版社)
北條一浩さんのツイート*1を読んで購入を決断。
いや、気になっていたので、注文して担当してる棚に差しといたんですけどね。
「自分の忘れていた記憶を刺激される本」っていうのが、気になって、ね。
宇田さんの方は、決断もなにも、
待ってましたもの。
車中のとも。
堀江敏幸『なずな (集英社文庫)』(集英社)
なずなの周辺にいる人たちが即席の家族になって、本来あるべき家族の代役を果たしていた。それも、ひどく自然なかたちで。要するに、基本は「近くにいる」ということではないか。(p.171)
小学生のころ、近所に住む「親友」の家に遊びに行くのが好きだった。
年越しの瞬間も、けっこうその家で過ごすことが多かったくらい。
僕もそこで、「家庭」なるもの、を感じていた気がする。
自分以外の家族の会話が聞こえてくる安心感。
二人暮らしの中では獲得できない、
観客席。
あ、そういえば、
うちの店にも、『小さなユリと』*2入荷しました。
親と子が二人で暮らすぎこちなさ。
それはけれど、三人以上の家族を基準に眺めるからではないのか。
基準て、なんだよ。